平成28年11月12日のやり取り

 (伊藤 真乗師の正当性の根拠)

・大般涅槃経・四依品の中で、「未来の世においてこの経典(涅槃経)を説く者が現れて無上の正法を護持せん」という趣旨の記述がある事です。

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     これについては既にメールにて涅槃経の当該箇所という部分をお知らせいただいているので列挙してみる。

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http://www.archive.org/stream/kokuyakudaizky08tokyuoft#page/247/mode/2up


 

 

 

P168 41http://toyoda.tv/nehangyo.168.jpg

迦葉菩薩、復佛に白(もう)して言(もう)さく、『世尊、是の諸の衆生、佛の滅後に於て久近便ち當に是経を誹謗すべし。世尊、復何等の純善の衆生有りて、當に能く是の謗法の者を抜済すべき。』

※paritraaNauttaraNa etc. (skt.) サンスクリット原語の意味は、「救うこと」「護ること」であり、漢訳では「救済」のほかに、「救護」「救抜」「抜済」などが当てられている。
wikidharmaなどにある)

【現代語訳】
迦葉菩薩が釈尊に謹んで申し上げた
「お釈迦様、多くの衆生が、仏様の滅後、近い時期にも、また年久しく経った後にも、この経を誹謗するでしょう。
お釈迦様、その時、純真に正しく仏法を行ずる者も有って、その謗法の者達を救い出すであろう。(ここは涅槃経の全体に流れる謗法呵責の義からすれば、謗法者達を呵責して屈服せしめた後に救う、という意味である。

【参照】
涅槃経 「若し大乗経を誹謗(ひぼう)する者有らば、当に勢力(せいりき)を以て之を摧(くじ)きて伏せしめ、既(すで)に摧伏(さいふく)し已(お)はって然して後に勧めて大涅槃を読ましむべし。」


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P170
 49節
http://toyoda.tv/nehangyo.170.49.jpg

佛、言(のたま)はく、『善男子、若し我、「正法の余八十年、前四十年、是の経復当に閻浮提に於て、大法雨を雨(ふら)すべし
解説の項に 「正法の余八十年  正法は一に五百年、一に一千年等、今この正法の時季を過ぎて後八十年の意なり。」とある)

【現代語訳】
仏は言われた、「 仏法を信じる者達よ、私の仏法の正法時代が過ぎた後80年、またその前の40年、この経は世界中に仏の慈悲・救済の教えと功徳が広がっていくであろう。」  


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P172 54節(の中の、該当すると思われる箇所)
http://toyoda.tv/nehangyo.172.54.jpg

若衆生、八恒河沙の諸の如来の所(みもと)に於て菩提心を発こす有らば、然して後、乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜす、受持、読誦し、経巻を書写し、亦他人を勧めて書写を得しめ自ら能く聴受し、亦他人を勧めて聴受を得しめ、読誦通利し、擁護堅持す。世間の諸の衆生を憐憫(れんみん)するが故に、是経を供養し、亦他人を勧めて其をして供養せしめ、恭敬尊重し、読誦礼拝し、亦復是の如く具足して能く解し、其の義味を尽す。所謂如来常住不変、畢竟安楽にして、廣く衆生に悉く仏性有るを説く。善く如来の所有の法蔵をしり、是の如きの諸仏等を供養し已(おわ)りて、是の如きの無上の正法を建立して受持擁護す。若始めて阿耨多羅三藐三菩提心を発す有らば、當に知るべし、是の人は未来の世に、必ず能く是の如きの正法を建立し、受持擁護せん。是の故に汝今、未来世の中に護法の人を知らざるべからず。何を以ての故に。是の発心の者は、未来世に於て必ず能く正法を護持せん。

【現代語訳】
もし、衆生がガンジス川にある無数の砂々のそれまた八倍の如くの如来の許で成仏の志を立てるのであらば、その後、悪世の中でこの法を誹謗せず、受け持(たも)ち、読誦し、経巻を書写し、そして他人にも勧めて書写できるようにし、自分自身でもよく聴き受け、そして他人にも勧めて聞き受けさせ、読誦し、その意味をよく理解し解説し、擁護し、堅く持(たも)つ。
世間の多くの人々を憐み不憫に思うが故に、この経を供養し、そして他人にも勧めて供養するようにさせ、恭しく敬い、尊重し、読誦し礼拝し、そしてまた以上のような行を円満に具足してよく領解し、意義・内容に通達する。
その本質は、如来は常住不変 究極的な安楽 そして一切衆生に悉く仏性が在ることを説く。
そして、よく如来が説くところの様々な教説の意義・筋目を熟知し、それぞれの諸仏等を供養した上で、このような無上の正法を建立して、受持し擁護する。
もし成仏する心を発し、求めるのならば、よく知りなさい。そのような人は未来世において必ずよくこの正法を建立し、受持し擁護する。
この故に貴方方、今、未来世においての護法の人を知らなければならない。
それはどうしてか?
この成仏を目指す者は、未来世において必ずよく正法を護持するからである。

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    さて、この経文の一体どこが、伊藤真乗が明治39年(1906年)に生まれて、真如苑という、真言宗の系譜を標榜しながら、涅槃経を依経として、しかも霊能などという極めて主観的・偏向的・非合理的な手法が売り物の新宗教を開く、という予言になっているというのだろうか?

【矛盾】

@
 時が外れている。 
P170
 49節 では  「正法滅して後80年、もしくは正法最後の40年」 に出現することになっているではないか。
解説によると、正法500年 正法1000年 という両説を挙げているが、そのどちらを取っても、伊藤真乗の誕生年と合わない。
この説だと、現代の釈尊の聖滅年の研究から概ね紀元前後、もしくは五世紀位に出現しなければならない。
伊藤真乗は1906年生まれである。全く外れている。

 

(答え)

P170 49節について

この国訳経の解釈に依らずに読みます。

>善男子、若し我(釈尊)、「正法の余八十年、前四十年、是の経復当に閻浮提に於て、大法雨を雨(ふら)すべし」

 

釈尊入滅から500年、または1000年が「正法」の時期に当たると「大集経」などでは

説きますが、この文の「正法の余」とは、「釈尊入滅ののち」という意味です。

 

つまり「釈尊入滅の後80年、特にその前半の40年、涅槃経は栄える」というと言う意味です。

 

ここは、涅槃経が一旦、表舞台から消えていく様子を指しています。



A 明確な「付嘱」が説かれていない。
上掲の涅槃経の経文では "未来世に、「正法」を弘める者が顕れる" との意は読み取れるが、ではそれが誰なのか、釈尊とどういう関係なのか、未来世において具体的にどのような状況になるのか、明確に説かれていない。

 

(答え)

当り前です。涅槃経は「如来常住」が説かれているのですから、法を付嘱する必要などありません。

 

佛・法・僧の三宝は常に一体で永遠だと釈尊は説かれました。

 



一方、法華経では神力品等において明確に上行菩薩並びに余の眷属に付属している。
もちろん、釈尊との関係も、従地涌出品第15から嘱累品第22までの八品において縷々説かれており、上行菩薩等の出所進退が明瞭である。
さらに勧持品13で、悪世・未来で弘通者はどのような状況に置かれるのか詳細に説かれている。
つまり、法華経では悪世末法において「正法」を弘める人物像の予言が詳細かつ明瞭なのである。
それらの点から考えれば、上記の涅槃経での予言は、まさに法華経での未来広宣流布の予言の追説と採るべきであろう。

簡単に以上の点から、上掲の涅槃経の経文が 伊藤真乗 の出現を予言している。との根拠には全く成り得ない。

 

(結論)

 

時期の指摘は、伊藤真乗師出現の時期を予言しているものではないのに、それが解っておられません。

 

法の付託については、日蓮正宗の思考パターンを克服できておりません。

 

議論が全てだとは申しませんが、議論としては的外れです。