元に戻る

 

 

お詫びいたします

 

 

心無い言葉で一生忘れられない傷を負われた事、謝って済むとは思いませんが、その真如教徒に成り代わってお詫びいたします。

 

 

 

私は幼少期、病気を患い、下肢障害となりました。生後8か月の時のことです。

両親、親戚一同は何とかして歩けるようにと懸命だったそうです。
そんな時、私の母、母方の祖母に声をかけてきたのが真如苑の信者だったそうです。

「必ず障害は治る」

「でも、信者になって歓喜(寄付のことらしい)すれば、必ず治る」

と言われたそうです。

 

 

そうですか。

 

その真如教徒の方はそう思われたのでしょうね。

 

私はそうは思いませんけどね。

 

病気は真如苑ではなく病院で治すべきものです。

 

その道理が解らないなら、その人こそ目が覚めるまで苦しい思いをするのでは?と思いますね。

 

 

 

 


母と町で買い物をしておりますと、「ご無沙汰です。」と母に声をかける方が見えました。
その瞬間、母の表情が曇ったのがわかりました。
その方は開口一番

「あの時の息子さんだね、やっぱり治らなかっただ(笑) お可哀そうに。 
あの時私の話を聞いておけば、もう手遅れだけどね。」

そして私をみて

「可哀そうに、一生苦労するんだね。
あんたのお母さんがだめだからね。」

と行ってその方はささっと立ち去っていきました。

その日、帰宅後、話の一部始終を母から聞きました。

 

 

 

よく、飢餓に苦しむ発展途上国の子供を見て、本来的には解るはずもないのに「可哀そう」とか思うのと同じですね。

 

「健康な体でないといけない」→「障害がある人は可哀そう」

 

そういう観念から、その真如教徒は悪気なく言ったのでしょう。

 

貴方はそれがどれだけ醜く、傲慢で、人の心に一生消えない憎悪を植え付けるかを体験されました。

 

願わくば「日蓮正宗 最高!」→「他のものは全てダメ」

 

という、その真如教徒と同じ「過ったものの見方(自分の常識が世界の全てという観念)」しかできない人にだけはならないでください。

 

 




しかし、今、日蓮正宗に縁することができ、大変幸せを感じております。
うまくいかないこともまだ まだありますが、数か月前の自分を振り返ると見違えるようです。(自画自賛 ご無礼)

 

 

 

 

良かったですね。

 

「うまくいかないこと」って大事ですよね?

 

何もかもうまくいって、やる事が特にない人って、何の修行もしていない人だと私は思います。

 

これは宗教があるなしに関係なく、人は全て修行をしているのだなと、体験からしみじみ思っています。

 

貴方の真如苑への憎悪も、辛い思いも、いつかは「煩悩即菩提」の大慈悲で消えますように!

 

=合掌=

 

 

 

元に戻る