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大般涅槃経のむずかしさ

 

 

日蓮正宗信徒の方にも書きましたが、涅槃経には矛盾する部分が沢山あるそうです。

 

我々が解る範囲でも「全てを救う」と全体で言いながら、細部においては「この経を謗るものは首を撥ねても構わない」と言われます。

 

他にも「闡提」は絶対に救われないと何度も何度も強調されながら、最後は結局「闡提でも救われる」とします(大般涅槃経菩薩品第十六)。

 

 

ここが涅槃経の難しい所です。

 

 

「若し善比丘有って法を壊(やぶ)る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。」

「法を壊(やぶ)る者」 とは、正法を護持する僧俗を迫害する邪教徒のことである。

 

 

簡単です。

 

そんな人でも仏法に関心があるなら罪は深くても涅槃経の原理から最後には救われます。

 

大般涅槃経では最後に、そんな人でも救われると説いています。

 

問題なのは、無関心。

 

仏法以前に「そんなもの興味ないよ」と言う人々です。

 

その他の反論も全て同趣旨で

 

「法を壊(やぶ)る者」 とは、「婆羅門の方等を誹謗する者」 ということではないか。

つまり、邪教の者・正法を誹謗する者 という意義である。

 

だとか

 

 

「法を壊(やぶ)る者」  とは このように、 仏のふりをして似非仏教=邪教 を弘めている者  である。

 

だとか

 

「法を壊(やぶ)る者」  とは 正法を誹謗する者 である。

 

 

だとか

 

 

「法を壊(やぶ)る者」  とは 悪法を為すもの である。

 

 

だとかしつこく仰っていますが、そんな「ケツの穴の小さい」教えではないのです。

 

 

それは大般涅槃経の細部での文を盗み取って自己の正当化に利用しているだけです。

 

仏教と言うのは

 

 

闡提成仏

 

 

佛に反するものまで救うと涅槃経で言われたのです。

 

聞けば聞くほど窮屈な教えですね?

 

法華経のどこに「闡提成仏」の理があるのか、日蓮正宗というものは。

 

 

これでは真逆ですよね?

 

 

大般涅槃経とはそもそもスケールが違う。

 

可愛そうですが日蓮さんは「木を見て森を見ず」だった。というか、そもそも涅槃経の全体が理解できなかった。

 

故にその弟子もイスラム原理派と全く異なるところがない過激派と化すのです。

 

「師は針の如く 弟子は糸の如し」

 

ですなぁ!

 

 

 

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