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★ 台密の出現により、釈尊の法華経(白法)は隠没

 

↑樋田氏はこの議論で、日蓮大聖人の出生が末法である事を論証しようとしております。

せっかくの力強い議論なのですが、日蓮大聖人が「末法の佛」足りえない致命的な部分もあるので簡単に指摘する事にしました。

(緑色は樋田氏の主張)

 

昨今、日蓮正宗に対する疑難として以下のものがある。

 日蓮が御出現された時代は果たして本当に「末法」だったのか?

「現在の歴史的な研究としては、釈尊入滅は、以下の所説他多数あるが、概ね紀元前4・5世紀とする説が有力である。
(1)
 BC.566-486年(高楠順次郎説)
(2)
 BC.565-485年(衆聖点記説)
(3)
 BC.564-484年(金倉圓照説)
(4)
 BC.466-386年(宇井伯寿説)
(5)
 BC.463-383年(中村 元説)
(6)
 BC.624-544年(東南アジア圏にて採用されている説)  尚、他にも諸説がある。
しかし、日蓮は、大集経の「正法千年・像法千年・以後末法」という説に則り、自らを「末法の法華経の行者」としているが、そもそも、日蓮が生まれて弘教した時代は、上記の最新の研究からすれば、未だ「像法時代」であって、「末法の法華経の行者」という前提自体が成り立たないではないか。」

というものである。

日蓮大聖人御自身は、釈尊入滅を、B.C 949年という説を採られていたことは間違いない。

文永十年八月の『波木井三郎殿御返事』
「仏滅後今に二千二百二十二年なり」(新編682頁)
建治二年『報恩抄』
「仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず」(同1036頁)
『妙法比丘尼御返事』
「而るに仏御入滅ありては既に二千二百二十七年なり」(同1257頁)
この御書年代記されていないが、「今又此山に五箇年あり」(同1264頁)
とあることから、弘安元年の御書であることは間違いない。)

文永十年(1273年)  仏滅後2222年
建治二年(1276年)  仏滅後2225年
弘安元年(1278年)  仏滅後2227年

大聖人は『周書異記』の記述「周の穆王の53年(BC949年)に釈尊が亡くなった」とする説を採られて御算定されている。
この『周書異記』の説は大聖人様お一人ではない。
当時の仏教界全体の算定方法であった。
大聖人様御在世当時には、一般論として誰も動かすことのできない仏滅年代が存在していた。
ここから計算すると、末法来入は、1052年 ということになる。

 

まず、大問題なのが「日蓮大聖人御自身は、釈尊入滅を、B.C 949年という説を採られていたことは間違いない。」という部分です。

この事は「大聖人は『周書異記』の記述「周の穆王の53年(BC949年)に釈尊が亡くなった」とする説を採られて御算定されている。」を根拠にしています。

 

ですが、この「周書異記」は、中国仏教儒教に対する優位性を確保するために制作された偽書とされており、「正史に記載されていない周代の異聞を記した書」です。

ちなみに、中国に最初に仏教が伝わったとされるのが後漢の明帝の時です。

この説を採用すると様々な矛盾が出てくると言われており、決して有力説ではありません。

(参照)

つまり、日蓮大聖人は「偽書」を根拠として、ご自分を「末法の佛」となさった事になります。

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