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考えても解らない教え 大般涅槃経

 

 

 

いやぁ、樋田氏がウザいという観念が90%、どうしたらもっと建設的な議論になるだろうかという問題意識が10%ですが…

 

解った事があります。

 

どう私が理解し、頂いてきたものを伝えたら良いのかと。

 

自分で書いていて気が付きました。

 

 

>「是れ即ち勝となす、善男子、この義を以ての故に、甚奇甚特(じんきじんとく)にして思議すべからず」

 

>と、仰っています。

 

>「これが最勝だよ!それ以上、余計な事を考えてはいけないよ!」

 

>という意味ですね。

 

>これは怪しげな新興宗教の勧誘員の言葉ではありませんよ。

 

>釈尊の直説です。

 

>で、涅槃経には随所に「難思議」であり「思議すべからず」とか「不可思議(考える事も語ることも無理!ってこと)」と出てきますね。

 

 

「不可思議」と言われてしまえば、涅槃経についてあれこれ考えるのは無駄って事。

 

 

 

と、前置きしておいて

 

 

仏の一番、随自意な所 = 仏の一番奥の御意 = 仏の悟りの一番奥深いところ

それがそのまま、理解することが一番難しいところ であることは上の譬えの道理で分かりますよね?

つまり、

--------------------------------------------
薬王今汝に告ぐ 
@ 我が所説の諸経   而も此の経の中に於て   法華  最も第一なり」

爾の時に仏、復、薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、
A 我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。 而も其の中に於て、 此の法華経、 最も為れ難信難解なり。

(『法華経』法師品第十)
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この @ と A は、同根二意 同義詳説 であることは疑いない。
この@Aの意味するところは、

我が所説の諸経は、それはつまり無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くものであるが、その中で、法華経が最も第一であり、それはとりもなおざず、最も難信難解なのである。』

であることは確定的、決定的、である。

 

 

ずっとトートロジーですね?

 

まず前提から確認しましょうか?

 

仏の一番、随自意な所 = 仏の一番奥の御意 = 仏の悟りの一番奥深いところ

 

 

が、前提。

 

で?それを「法華経」だと確定する根拠は?

 

薬王今汝に告ぐ 
@ 我が所説の諸経   而も此の経の中に於て   法華  最も第一なり」

爾の時に仏、復、薬王菩薩摩訶薩に告げたまわく、
A 我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。 而も其の中に於て、 此の法華経、 最も為れ難信難解なり。

 

この文ですか?

 

どこにも「最も随自意」とか書かれていませんが?

 

仏の一番奥の御意


仏の悟りの一番奥深いところ

 

も同様です。

 

何故なら

 

「最も随自意=一番奥の御意=一番深い所」=法華経

 

というのは貴方の、ないしは日蓮大聖人の「解釈に過ぎない」のであって、きっちり文で論証できていないからです。

 

貴方の論理をそっくりそのまま「涅槃経は」と主語だけ変えれば、そのまま私の主張になります。

 

涅槃経こそ最も随自意だとね。

 

つまり、貴方は何も言えていないのです。

 

しかし、根拠としてあげている文にも、根拠っぽいものはあります。

 

 

「諸説の経の中、最も第一」

 

「難信難解」

 

 

ですね。

 

今まで散々、この議論はしているので私は別の角度から反論してみましょう。

 

 

「真理は言葉には出来ない」という命題を私は解説しましたね?

 

言語そのものに意味の実態が備わっているのなら経典を勉強している学者は皆、如来になれます。

 

言語は意味を指し示すもの(これについての議論があるようですが、時間があったらします)という前提で進めます。

 

となると、言語化できるものは、人間に理解できるもの=概念 です。

 

つまり、「難信難解」とは、佛の内証を概念として表現するものであるから「難解」と、まだ概念を以て理解できる事を示しています。

 

これに対して涅槃経は「不可思議」=思う事も論ずることもできない

 

全てを救済する法としての佛の悟り=概念化できない=不可思議

 

です。

 

難解より、この「信じるしかない」=不可思議が上位に位置する事は、解ります?

 

後に「不可思議(議を思う事もできない)」な涅槃経を説くから、法華は「難信難解」なのだと。

 

 

拈華微笑なんて話、わざわざ残されているのは、佛教は理屈じゃないという事の為です。

 

 

釈尊が、「難思議」(議を思う事が難しい)、「不可思議」(議を思う事ができない)と、自らご自分のご内証を概念では理解できないと明瞭に仰っているのに、樋田さんは、涅槃経の経文を切り取り、ああでもない、こうでもないと思議しまくっていますね?

 

樋田さんの定義による「法謗者」によると、佛の仰せに背いている貴方は破戒者そのものだ。

 

 

 

 

 

 

 

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