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樋田氏は議論と言うものがよく解っておられない様子です。

議論で一番大事なのは「何を論じているのか」です。

私は伊藤 真乗師の正当性の根拠の一つを伝統法脈に求めています。

ですから、私を論破するなら「伝統法脈」を否定しなければなりません。

そうであるにも関わらずいつまでも「真言宗の邪教性」を主張しています。

 

@  2 改訂版 真言宗 及び 伊藤真乗 の矛盾を粗々突く

 

↑まだ、読む気力がある方は一応、読んでみてください。

一応、簡単におさらいさせて頂きます。

 

▼ そもそも大日の三部を 「密教」 と云い、法華経を 「顕教」 という事などどの経典にも全く書かれてない。弘法の自見・己義・我見である。

 

 

もう一度、「真言 伝持の八祖」を振り返って下さい。

真言宗の元祖は、日本に伝わった法華経八品二十八巻を訳した鳩摩羅什の師匠であるナーガール・ジュナです。

大乗仏教の祖とも言われる彼(ナーガール・ジュナ)は佛教マスターでなければなりません。

そうでなければ大乗仏教の全てが否定されます。

 

その佛教マスターである彼(ナーガール・ジュナ)の血脈を相承したのが空海(弘法大師)です。

 

従って、弘法大師は「如来(ないし仏陀)」であり、彼(空海)が何を言おうがそれは佛のいう事なのです。

 

凡夫が何を言おうが、まして後世の凡夫がどう思おうが関係ないのです。

 

現に、伝教大師も空海に弟子の礼をとって学ぼうとしました。法華経のみではダメだと解っていたからです。

 

たったこれだけの理屈で何を言っても却下されてしまうのです。

 

真実とはシンプルなものですね。

 

事細かに真言宗をつついて、法華を正当化しようと思っても歴史的事実がそれを拒みます。

 

真言を論破するにはナーガール・ジュナをはじめとする伝持の八祖のどこかを否定するしかないのです。

 

 

▼「真言三部経 理趣経などは、法そのものである最尊尊極の大日如来が説いた経であるから、肉身を持った劣った仏である釈迦如来が説いた法華経・華厳経。般若経(一部を除く)・涅槃経などより遥かに優れている。」

 

真言宗はもともと才能があるものの救済しか予定していません。

今では誰でも灌頂を承けられるようになっているようですが、もともと密教とは才能の世界です。

現に、空海は約半年で恵果阿闍梨から灌頂を授けられました。

名門 青龍寺で他の長年の修行僧を差し置いてです。

法を授けた不空三蔵は、空海に対してのみ「(法を相承させる事は)甕より甕に遷す如く(完璧に遷した)」と讃嘆しています。

 

そういう世界もあると言う事です。我々凡夫には確かに縁遠いですけどね。

 

 

仏として法を説く、という限りは必ず実在の仏として 「八相作仏」 が明確でなければ信用できる対象ではない。

八相作仏

@ 下天(げてん)       
A 託胎(たくたい)      
B 出胎(しゅったい)     
C 出家(しゅっけ)      
D 降魔(ごうま)       
E 成道(じょうどう)     
F 転法輪(てんぽうりん) 
G 入涅槃(にゅうねはん)

では、例えば大日如来が実在の仏だとしたら 「託胎」 したその父母は誰か。その名前は?→ 破折は同上。

 

これは次で議論しますが、こう仰っている樋田氏自身、自覚はあると思います。

大日如来=日蓮正宗で言っている法華経    なのだと。

 

    種・熟・脱 という仏法の大きな展開を知らないのである。
これは植物が 種から始まり、果実となり、完熟し食べられる。その中に種を宿している。 
その種がまた成長し、果実となり 云々。。。。。
この循環の姿と同じである。

 久遠元初の法そのものが妙法蓮華経(略して法華経と呼称) 

 

その法を説いたのは誰ですか?

佛に説かれずに法は存在できるのですか?

だから真言では大日を立てているだけの話です。

 

 人に即して法 法に即して人 の御本仏が存在。 この仏を下種・本因妙の仏という。またこの仏法を下種仏法という。 
また善根のない生命に直ちに仏になる種を植えるが故。

 

「下種・本因妙の仏」の八相作仏は?

それがない佛は信用できないのでは?


 釈尊はその久遠元初の妙法蓮華経を修行して五百塵点劫の昔に成道する。
下種が実って成仏したので、釈尊を熟脱の仏という。釈尊が説かれる仏法を熟脱の仏法、本果妙の仏法という。

 

私が申し上げた「大日如来(すべての因としての佛)」→「金剛薩埵(因を受けた果としての佛)」のプロセスそのものですよね?

後は、答える必要もありませんね?(一応、載せておきます)

 


 その後、処々に八相作仏して出生し、種々の法を説き、必ず最後に妙法蓮華経を説き、衆生を得脱せしむる。
 インドに応誕し、種々の方便教を説いた後、妙法蓮華経を説き、過去に下種受けてここまで得脱できなかった衆生一切を得脱せしむる。
 この時、熟脱の仏として未来末法に於いて熟脱の衆生が全くなくなり、再び巡りくる下種仏法の時代のために、上行菩薩へ付嘱する。
 その後、正法・像法の間、熟脱の衆生は一切得脱する。
 すると時代はまた全く下種を受けてない衆生だけの時代となり、下種の仏が応誕する。
 それが外用上行菩薩 その内証が久遠元初の下種・本因妙の御本仏。

全く、因果律に矛盾がない。

 

 

「下種・本因妙の仏」の八相作仏は?

因果律に即してないのではないですか?

ナーガール・ジュナが密教の伝持の八祖の元祖になったように、伝教大師が弟子の礼をとって弘法大師に教えを乞うたように

真如苑および伊藤 真乗師の正当性は動かしがたい事実としてそこに存在しているのです。

 

我々が生まれる前からも、そして死んだ後にも、ただそこに大自然があるように、

真理と言うのは理論理屈で左右されるものではないと私は思いますが、樋田氏はどう思われるでしょう?

同じ思いだと良いのですが…

 

 

 

 

 

 

 

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