細川刑部家とは?

細川刑部家は、戦国細川家三代目(肥後細川初代)忠利公の弟の細川刑部少輔興孝(おきたか)が、正保3年(1646)に2万5千石を与えられて興したものです。八代の松井家と同じく、細川家の分家。繁栄した大名は、家老や、刑部(裁判官、司法担当職)へと、分家して行く。因みに、細川という姓をつかったり、松井、長岡も使う。 


武家屋敷モデルとしての刑部邸

 平成6年、熊本城三の丸の現在位置に移築された、上級武家屋敷
 小京都ブームで見直されている公家、武家文化の煌びやかな部分を分り易く展示されている。
 3代興知の代に、子飼(熊本市東子飼町)にお茶屋をつくり、明治4年に、熊本城に鎮西鎮台が置かれ、城内の武家屋敷は場外に移るようにとの令が発せられると、時の刑部家の当主興増(おきなが)は、同6年(1873年)に子飼に移り、男爵本邸として整えました。
 昭和60年に熊本県重要文化財に指定され、現在地には、平成2年から4ケ年をかけて移築復元されました。


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東子飼町にお茶屋はミスマッチではないの?

 熊本の現在の地理を知っている人は、子飼とお茶屋がミスマッチに思えます。ところが、家並の無い、当時の外堀(白川)の外を想像すると、合点がいきます。雄大な阿蘇外輪や、清明な湧水の清流白川が流れいます。
男爵細川興増(おきなが)は、阿蘇や白川を借景に楽しんだらしい。文化の伝統を誇る細川家らしい。

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