《どの様な感じのする庭園か?》

 古市宗庵に命じてつくらせた国府のお茶屋、「酔月亭」のための庭園が、今日の成趣園です。  桃山風で、和風の落ち着きはあるが、一方、華やか!煌びやか。ヨーロッパの庭園に負けず劣らずに、緑碧が鮮やかです。
快晴の日の下が一番艶やかです。華やかに着飾って写真撮影をすると、晴れ姿が後日への『記念祝賀写真』になりそうです。 京都の苔寺等が、座禅を組み瞑想、黙考して禅の宇宙を妄想するのに対して、
散策巡り歩きしながら、語らいながら、山紫水明を構成する”松の緑”を愛でながら、芝生の緑の儚さに思いをやりながら、湧水の清らかさを嘆じながらの散策に、『趣』を極める庭園です。

 安土、桃山、元禄の特徴の”華麗さ”が前面にでています。富士に見立てられた築山は、芝生に覆われていて、力感鮮やかに、目に飛び込んできます。
 鯉の遊泳がさわやかな池の湧水は、大阿蘇の伏流水です。
100年の眠りから覚めたごとくに湧き出る地下水で、江津湖に合流して、加勢川になり、有明海に注ぎます。

  清流と、『松』の奥行きの深さを漂わせる”緑”、芝生の開放感一杯の明るい”緑”の対比を賞味下さい。錦鯉の色鮮やかさ、出水神社鳥居の荘厳さ、華やかさがこの庭園の真髄。(人の心を癒す”緑”をキーワードに)古今伝授の間の歴史の重さとあいまって、”庭園の癒し効果”は抜群です。

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『松の緑』は、花より美しい

 

 日本の文化、習慣では、「ベストテンのナンバーワン」という表現の代わりに、「松、梅、竹の松の位」という順位付けが伝統的です。一番素晴らしいものは”松の位”に順位付けします。鰻丼も一番高いのは”松の鰻丼”です。庭に植え付ける植物でも、花の咲く梅より、『松の緑』を奥行きがあり尊いとするのが日本文化です。常緑の松葉が醸し出す色合いは素晴らしいものがあります。(古来、謡曲等に”松の緑”と絶賛せれている)  この園に配置された松は、質素なまで数を絞られて、芝生や清明な湧水を脇役にいただいて、一段と松独特の”緑”の鮮やかさを演じ切ります。日本文化の伝統を改めて教えられるような気がします。 

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《回遊式桃山風庭園で、巡る労を厭わずに》

 『晴れた明るい日の水前寺成趣園は本当に綺麗だ!まるで照明に浮かび上がる女優さんのようだ!』と思わず息を呑む事があります。特に、回遊して、庭園の向こうにまで廻り込み、入り口付近の茅葺書院建築の”古今伝授の間”の景観を鑑賞します。湧水面の奥にスゥーと佇む"古今伝授の間"。みずみずしい”松”と浮かぶ”白石”、ベストマッチです。『”成趣園という女優”はこの角度が一番美しい。』こんなことを一人で呟きます。

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《古今伝授の間》

 細川 藤孝(幽斎)公が、関ヶ原の乱の時、丹後田辺城に孤立無援の篭城戦で、落命する危機に陥り、古今和歌集の難解な解釈の奥儀が、細川幽斎の命とともに消え去ろうとしたのを危惧し、後陽成天皇が、戦の仲裁の労を取られて、後に、八条の宮親王(桂宮智仁親王)に、幽斎公から奥義の伝授の講義の続きを受けるように命じて、その後伝授完了が行われた、細川家にとって由緒のある京都御苑の『八条の宮学問所書院』を、大正元年に、成趣園の中に移築されました。移築後、『古今伝授の間』と呼ばれるようになりました。重要文化財です。一部部材を改めましたが、原図通りに復元しました。平成23年1月、修復工事完了。

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《出水神社》

 明治10年の西南の役の、戦前処理の為の付け火で(民家を盾、宿営として活用出来ないように)、熊本の城下の民家、施設等の市街地は焼土と化しました。旧藩士有志は、城下の復興を祈り、旧藩主を慕って、細川家の御霊を祀りました。細川家に関係の深い水前寺『成趣園』の地を選び、出水神社社殿を創建し、細川藤孝公、忠興公、忠利公を斎鎮しました。後に歴代の藩主十柱及び忠興公室『ガラシャ夫人』が合祀されました。
 境内には、忠利公が丹精された盆栽『五葉の松』が移植されて、いやさかえに栄えて、見事な大木になって、繁栄を寿ぐ見事さです。
 『延命の水』湧水が、お手洗い水として供されています。日本の湧水としては珍らしく、硬水です。
 ※鳥居下の石段の最上段から、『成趣園』の松を再認して下さい。”松の緑”が一層鮮やかである事が理解出来ます。

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