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電子美術館のQ&A

4 芸術の定義は簡単

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2006/4/21

――「芸術は○○である」を、ここではどう言いますか?

「芸術は個性である」と言います。

――それだけでいいのですか?

「芸術」の語は二通りに使われ、「創作活動の総称」と「秀逸作品への栄冠」に大別できます。後者で、芸術の定義に百論あろうと、希少価値だけは共通でしょう。ありふれた作品より、あまりない作品に人は芸術を感じます。凡より独創、引いたよりは迫り来る作品。そっちが少ないので、芸術のイメージは世界的にそうした希少価値に寄っています。

――芸術の意味は、元来かなり違っていたそうですが?

有名な格言「芸術は長く、人生は短し」は、古代ギリシャの医者ヒポクラテス(前460〜前377)の言葉とされます。医学と医術の広大さ、奥深さを言ったのでしょう。日本でも、昔は技術を指す語でした。

――今は、そうではありませんね?

今では娯楽表現の斬新な創造を芸術と呼びますが、この意識が西欧で急進したのは、19世紀、1800年代後半の印象派以降といえます。「前例がない作風」「満ち足りた完成度」「不穏な魔力」の三つを持つ作品を芸術とする認識は、その後の結果論から出されています。

――イメージ的には、新しい作風が芸術で、古い作風が非芸術、という気もしますが?

それだと色々な不合理が起きます。例えば、昔の芸術作品が時間がたった今は非芸術に転落するのか。また、目新しい作風と見飽きた作風の関係はどうか。誰にとっての目新しさか。あるいは同じ作品が、登場するタイミングで芸術になったりならなかったりするのか。出るのが早過ぎた、遅過ぎたと。さらには、空中に絵をかくアイデアが初なら、その方法でかいた絵までが芸術なのか、などなど。時間を軸にした定義では、説明できない無理が次々と出てきます。

――そこで、個の異質ぶりを芸術の必要条件にすれば、一貫するわけですね?

「尊いのは個性、独自性である」とすれば、過去との整合が取れます。仮にゴミを展示した作品があっても、魔法のように独自色を発するものはないか・・・。個性に着眼して見直せば、中世、近世、近代、現代の美術が連綿と並んで、無理が生じません。論理飛躍もつじつま合わせも、いらない。

――それにしては、「芸術は個性なり」の一言をあまり耳にしませんが?

該当する人の数が少ないなどもあるでしょう。

――個性は嫌われやすくもあって、過去には露骨な個性批判もありましたね?

自己防衛の仮説を立てました。他人の個性は自分の存在を薄めます。これは攻めてくる外敵に当たるので、排斥感情が起きます。だから、出現した他人の個性にすぐに飛びついた人は、美術史にまれです。濃い個性より薄い個性が好評なのも、同じ理由で説明できるでしょう。

――昨今の美術には、理解できない難解なコンセプトも見られますが?

「コンセプト残酷物語」という説も用意しています。駆け出しで早く個性の芽が出た美術家は、コンセプトがいりません。理屈に時間をさくより、大木へ成長させる造形に熱中するでしょう。無地のキャンバスを額に入れて「美しい絵が見える」と言ったり、細かい哲学に割く時間が惜しいのでは。

――芸術は人生である、人生もまた芸術である、という含蓄のある言い方はどうですか?

前面に出すと話がそれます。「人生は素晴らしい、そして人の営みは全てが芸術だ」としみじみ感じる瞬間は、実は誰にもあって、これは特定の個性ではありません。美術家の正攻法はそれではなく、成果品が芸術に届いた証拠を、目で見てわかる個性で示すことです。他人に似ないように、似ていると思われないように。本百冊で語る生きざまより、ひとつの作品の独自色が決め手。

――人類の進歩に合わせて、美術も進歩していくと一般に思われていますが?

進歩か変化かに注意がいります。人類が進歩を感じる時、根拠のほとんどは社会インフラと所有物です。途上国や新興国に対する先進国の優越性も、しばしば電気製品と自動車の普及率です。人は利器を得て生活が便利になると、文化的な理解力や包容力まで増した気がします。

――文化芸術の資産が増えても、人間の創造力や審美眼は向上しないのですか?

あまり関係しません。人類は今、太古から20世紀のピカソ以降までを合計した、史上最大の宝の山を共有しています。しかし私たち一人一人の許容力だって、山に比例してふくらんではいません。各人がピカソを卒業したかは怪しく、ピカソに匹敵する絵が急増したりもなく。わかる作品の範囲はそれほど広がっていないし、むしろわからないものが増え続けている感じで。人類の今の芸術能力が向上をみた、確かな形跡はなさそうです。

――昨今、人をびっくりさせる美術の多さに、色々な批判がありますが?

それだけなら、どうともいえず微妙です。美術作品を大別すると、わかりにくいエリーティズムと、わかりやすいポピュリズムに分かれます。以前に、女性客の苦情を聞きました。「人を馬鹿にしたような作品が多くて・・・」。「見る人に挑戦する美術ばかりでイヤになる」との訴えがありますが、そこには挑戦を受ける側のオーバーフロー、つまり降参もあるから、作品の不出来の証明には直結しないでしょう。

――古い名作が、当時は不評や反発にあった話は、案外知られませんね?

今傑作とされる古典美術に、当時の人々が驚いたり、白けて拒絶したものがたくさんあります。驚愕や不快を起こした逸話は、大芸術家の伝記に必ず出てきて。しかし1980年代にデザイン系学生に確かめると、ゴッホは当時の画壇のプリンスだったと思う人が多くいました。生前に売れた絵は知人を通した1枚きりで、遺品の絵を弟がじゃま扱いした話をすると、「まさか、ウソでしょ」という反応でした。大物は当時から大物だったと、皆さん信じていたようです。

――そこが気になるのですが、当時いた本物のプリンスはどうなったのですか?

ゴッホなど歯牙にもかけない、当時の画壇のスターや売れっ子たちは、当時の美術ファンを感激させ、賞賛と富や勲章を得て、後に歴史から消えています。原因は先に言った三つ、「前例がない作風」「満ち足りた完成度」「不穏な魔力」のうち、ひとつ以上が欠けていたからでしょう。

――ゴッホの逆転劇は、後の20世紀美術に強く影響を与えていますね?

作風以上に、人生てんまつがそうです。どう見ても上手で美しい素晴らしい絵が好評を博しても、人が世代交代すれば淘汰されると、西洋は繰り返し体験しました。美は永遠どころか、けっこうコロコロ入れ替わっていると・・・。ゴッホの逆転劇がそのひとつですが、これに後輩美術家が感化されて、嫌われ覚悟のびっくり作品が増えました。

――今どき、びっくり目的が見え透いた作品も多いと思うのですが?

過去の傑作がたどった逆転勝利をみて、「びっくりさせた者が勝ち」の近道に美術家が殺到した頃があります。驚きと不快がもう目的化して。「びっくり作品」はもはや大学美術部の新入生や飲み会要員が、一夜漬け制作する時の定型アカデミズムかも知れません。例えば絵を裏向きに掛けて「反芸術だ」とか、家電ゴミを積み上げて「文明の遺産なり」など。

――センセーショナルな作品が、芸術か否かを見分ける方法はありますか?

ないと思います。例えば今、女体のリアルなオブジェを美術館にドーンと置けば、驚きと不快感に加え倫理問題が生じ、展示の是非論が起き、検閲をめぐる是非論に進むでしょう。しかしそれが、グレコからピカソまで驚きや不快感を与え、冷笑や非難を受けた巨匠たちと比べて、一過性か永遠かの証明は困難です。

――具象美術で、わいせつ表現が話題になったこともありましたね?

かつて正妻ジャクリーヌと自身をモデルにしたピカソの版画が、公序良俗に反するとして日本の税関で止められました。しかし今となって、ピカソの遺作なら許されて、新人だと許されないのも変です。

――類人猿が手で絵の具を押しつけた絵が高額ですが、あれも芸術ですか?

それが芸術なら、ペンキを踏んだ犬の足跡も芸術だと、話は拡大します。芸術の意味は、広げればキリがありません。ある人は、富士山を芸術だと言います。絵ではなく、実物の山を言うのです。工業製品では、レースカーのエンジンやハンドメイドの排気管が芸術だとか。極薄の腕時計の歯車や、昆虫の顕微鏡写真を言うのもよくあります。

――見るもの何でもかんでも芸術だと言い出せば、どこまでも広がりますね?

そこで「独自性のある創作表現」で締め切れば、芸術は人間の行為の範囲に収まります。奇岩景勝など「自然が作った芸術」は比喩にとどまるでしょう。

――美術では、評論家が勝手に価値を決めて、下に押しつけていませんか?

評論家が価値決め権を行使する理由は、放っておけば誰も価値決めせず、美術界がさびれるからかも知れません。しかたなしにやっているような。音楽では聴き手の判断力が強いから、月並みな評論や指導的な上から目線は通用しにくいでしょう。

――「誰でも音楽評論家」なのは、ネットを見るとよくわかりますね?

美術は音楽と違って客の判断力が弱いので、専門家に多くを頼ることになり、民間のチェックははたらきません。美術のそういうところは封建社会を思わせますが、封建を打倒する作品も封建の中に組み込まれてしまうので、これは策謀などではなく美術が持つ特性でしょう。全世界的にそうなのです。

――美術の評論を見ると、ヨイショか、タタキか、ひどい片寄りが目に付きますが?

「芸術点」は実証も反証もできないので、何とでも言えます。現に「ピカソを超えた」と銘打たれた美術家が、日本だけで何百何千といます。そのピカソをめぐる論争が、昔のフランス画壇にありました。「まれにみる、豊かで実りある作品を作った最高の画家」に対し、「児戯に等しい無意味な破壊で、豊かで実りある時代を終わらせた最低の画家」と、やっぱり平行線でした。「芸術は個性である」をめぐって起きるこの紛争は、周辺の問題ではなく核心の問題です。

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