現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館のQ&A

6 前衛美術はどこへ行ったのか

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2006/5/10

――真の芸術に値するのは、前衛だけだと聞いたことがありますが?

音楽界からの伝聞では、高名なクラシック作曲家の中で、当時に前衛でなかったのはJ・S・バッハとメンデルスゾーンの2人だけで、他はモーツァルト、ベートーベン、ショパン、ワーグナー、チャイコフスキー、ドビュッシーからバーンスタインやブーレーズまで、全員が新奇な音楽の創造者だそうです。美術もまあ、そこは似たものです。

――今は前衛が流行らないようですが、なぜですか?

標準が消えて、異端も消えたのだと思います。前衛の意味は、次の時代の流れをつくる先駆者です。それは異端の新興美術の形で現れますが、前に述べたピカソ・ショックで土俵はてんぷくして、本流や中心構造がバラけています。だから対抗する前衛も立てません。攻撃相手がいない。美術に限らず音楽や映画でも、前衛は死語に近いといえます。団体の芸術運動に結集せずに、個人単位に散っています。

――前衛が歓迎されて、流行した時代もありましたね?

前衛やアヴァンギャルドの語が輝いたのは、20世紀西欧で抽象が再発見されて以降で、狭い意味では具象の保守性に対する抽象の革新性でした。抽象美術の創始者ピカソの『アビニョンの娘たち』は、@平板でデッサンがメチャクチャ、Aアフリカ彫刻のような顔、Bピンク中心の派手な色、Cモデルは売春婦、という奇抜さで、先進の画家仲間たちも×をつけました。このように歓迎されないうちが前衛なのかも。

――しかしそれも時を経て、世紀の傑作となって門外不出ですが?

絵のホアン・ミロや彫刻のヘンリー・ムーアなど抽象はとっくに公認され、日本の教科書にも前々からのっています。さらに絵とも彫刻ともつかないパフォーマンス系も出回り、しかしその割にいまだ国民の半数は抽象絵画や彫刻がわからないと訴え、具象のルノワール、ドガ、ロダン、マイヨールがやっとです。つまり、日本では今も前衛に市民権はなく、マイナーに置かれた状態で、西洋美術が二分されています。

――大衆が価値観で細分化する、あの「分衆の時代」という語は関係ありますか?

コミュニティーがこま切れになりミニフォーラム化するのは、音楽でも起きています。「記録的大ヒット曲が狭い客層だけで回転し、国民みんながいっしょに口ずさめる共通の曲がなくなった」と残念がるのを聞くことがあります。

――それは、作詞作曲が低調なせいですか?

能力不足による低調ではなく、音楽の太い本流が消えて、反旗をひるがえす抵抗の場も消えているようです。対立がなくて、イマイチ盛り上がらない状態。こうなった理由に、情報化時代を背景とした文化関連の大量供給と大量消費もあったでしょう。各人の作風が、すっかり多岐に広がったのです。分衆の時代は定着したといえます。

――造形も方法論も出尽くして、もう新しい作風は出てこないという見方も聞きますが?

それでも新しい作風は出てきますが・・・。音楽で盗作事件があると、もうメロディーは出尽くしたと嘆きが出ますが、実は建築デザインでも似た宣言が1970年代に出ました。今後の建築はギリシャ、ローマ時代から発展した意匠様式を、どう組み合わせるかがテーマになる、という説です。話を美術に戻すと、純粋抽象画家モンドリアン(1872〜1944)の『コンポジション』がひとつのゴールで、これで絵画の抽象化は行くところまで行きました。

――あのひし形に帯を縦横2本引いた絵で、抽象への道はゴールインしましたね?

最極端まで行き着いた抽象美術は折り返しに入って、ニッチ(すきま)の造形を余儀なくされました。新しい作風が出てきても、たいてい小粒です。大粒はもう誰かがやってしまっているから。そんな中、誰もやっていない新開地を求めてトリッキーなコンセプトや造形放棄のパフォーマンスが林立した、というのがピカソ後の現代美術のあらすじでした。しかし今では、彫刻を作って海岸で燃やすパフォーマンスも、前衛とは呼ばれないようです。

――前衛の語は、一時期の作品群を呼ぶ固有名詞みたいになっていませんか?

音楽のプログレッシヴ・ロックに似ているかも知れません。1970年前後のプログレッシヴ・ロックは、呼称と曲がセットで「あの時代」の古典として殿堂入りして、その後のロックの進歩を、プログレッシヴ(進歩的)とは呼びません。美術の立体派、未来派、シュールレアリスム、アクション系など、具象美術と対峙したアート運動の総称として、前衛は殿堂入りした感じです。

――前衛美術の末えいは、どのあたりがそうですか?

1960年代の廃物アートが、日本で前衛と呼ばれた最後かも知れません。その後1980年代の好景気で流行した素材アートや廃物アートは、スローガンがそのまま「既成の概念を超える」でした。しかし猫もしゃくしもという普及状態もあって、もう前衛とは呼ばれませんでした。前衛が主流だなんておかしいわけで。これらの展示の原型は、フランスで催されたシュールレアリスム展です。

――昔あったブームが、何度も繰り返していたのですね?

ちょうど音楽のオールデイズ曲のカバーを、今の若い歌手の作曲と思うのと似て、80年代の若年層は魅了されました。アール・デコなどのレトロモダンも、その時にリバイバルしました。2006年の今、そんな流行はありません。

――昔のシュールレアリスム展は、80年代と同じようなものだったのですか?

昔の方が過激でした。1937年の第一回シュールレアリスム展では、木ぎれや石や鉄板、壊れた電器製品など廃物が持ち込まれました。ところどころに絵画や彫刻を飾るにとどまらず、照明を暗くしてお化け屋敷のような順路をつくり、客は懐中電灯を手にして歩いたとされます。異臭も流したそうです。証言ではコーヒー豆を焼いたそうで。50年たった80年代のギャラリーでは、そこまでは禁止でした。

――本山を前衛が攻撃する構図が消えて、美術全体は保守的に戻っているのですか?

二分構造や拡散構造がある中で、全般に昔ながらの生業へ戻ったでしょう。作って売る、売るべく作る。一人一人が個人の事情に戻って。運動として集まる空気はもうありません。私の場合はちょっと違って、抽象がもうひとつわからない人を、改めて意識しています。抽象が苦手な人が多すぎる実態を、見過ごすのは良くないと思ったのです。

――抽象でありながら、コンセプチュアルな路線とは違うのですね?

豆腐を食べた外国人が、味がないインチキ食品だと言う苦情があります。それに対し味の濃い豆腐を用意するという、それを美術でやるのが私の考えです。ハンバーガーやチョコパフェに差し替える応じ方はしない・・・。サプライズ大会の会場をそっと抜け出して、現代美術への失望を挽回する方へ動いているつもり。これは、前衛の残務処理といえるかも知れません。

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