| 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ | |
8 絵をわかる vs 絵の意味をわかる |
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2006/6/20 |
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――今さらですが、絵をわかるとか理解するというのは、どういうことですか? 「具象はわかるが、抽象はわからない」という場合、その「わかる」は日常の語法で十分足ります。普通に、わかる、わからないという感覚で十分。 |
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――細かい定義は必要ないのですかね? 「わかったといって、本当にわかっているのか」などの突っ込みは、たいして重要ではありません。一方「理解」とは、作品を通して作者の能力を見切ることかも知れません。 |
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――「絵の意味」という、あいまいな言い方もありますが? 音楽を聴く人は「意味」で悩まないのに、美術を見る人はよく悩みます。美術には音楽にない具象という実在物の模写があって、その具象画のわかりやすさと、抽象画のわかりにくさの違いがまずあります。そして、その違いの説明に「意味」の語が出てきてややこしいのです。 |
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――抽象で普通に「意味」と言えば、モチーフというか、何を変形したかですよね? その鑑賞法が災いして、抽象がわからなくなります。具象美術のパーツに意味不明はないのに、抽象美術のパーツは意味不明だらけです。具象では果物のりんごだとすぐ判明しても、抽象では赤丸はりんごの意味か、それとも太陽の意味かという具合に混乱をきたして、鑑賞をさえぎられるケースがあります。 |
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――そこで言う「意味は何か」も、色々と違う意味で使われていませんか? 全体の意味と、部分の意味の混線もよくあります。「この絵が訴える思いは何か?」と「このパーツは何か?」が、どちらも「意味」の語で問答されるから。 |
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――パーツの正体が何なのか、説明を欲しがる人は多いようですね? 私の絵を見た人が、苦笑いして申し訳なさそうにたずねました。「古いわからずやと笑うでしょうが、この丸が何なのかわかりません。愚かな質問ですが、丸は何でしょうか・・・」。 |
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――質問しない人でも、同じことを考えそうですが? この種の問いに、抽象画家たちはよくこう答えました。「この丸は平和と団結を表している」「丸が何かは重要ではなく、美を感じればいい」「絵の解読は不要。虫の声と思って耳を傾けるべし」。 |
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――それらの回答は、説明を求める人たちの解決に役立ちましたか? あまり変わりません。説明を求める人は自身をわかっていない人だと言い、パーツが正体不明では考えが先に進まないのでしょう。丸が平和と団結だなんて意地悪クイズみたいだし、気にするなと言われても気になるだろうし。現代美術は難解なコンセプトをかかげておきながら、今さら解読するなでは困るし。虫の声と言われても、絵は見るものだし・・・ |
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――結局、その丸が何なのかはどう答えたのですか? 「この丸は、円です」。 |
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――それはそうですよね? この位置に、この大きさ、この色で円をかくと、絵がより良いものに見えると思ってかきました。その円が何なのかを、かいた私は決めていなかったのです。りんごか太陽か、平和や団結かは念頭になく、単に円をかいたまでのこと。 |
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――絵の「意味」を婉曲した決まり文句が、ずいぶんありますが? 「絵が示す」「絵が伝える」「絵が語る」「絵が教える」、あるいは「絵を読む」「絵のパズルを解く」「絵の信号を受ける」など色々です。「絵の主張」「絵の精神」「絵に込めた謎」「絵に託した暗号」など、意味深長なバリエーションもあります。 |
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――どれもみな、同じことだったりしませんか? 人が何かを見たら何かを思う、という現象です。いずれも、その詩的な表現にすぎません。美術に感激した疑似宗教体験は、「イワシの頭も信心」のことわざも含めて、感じる側の都合の反映です。鑑賞者の個人的な盛り上がりですが、美術家側は共通認識が起きることを理想として作ります。 |
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――そこでですが、絵画を分析するテレビのトリビア番組などは、信頼できるのですか? 推理小説まがいの謎解きは、まあ、だいたいフィクション混じりでしょう。「画家が込めた暗号を解く」といっても、当の画家は暗号やパズルなどは組み入れません。そんなしんどいことを・・・。オリジナル作品も、思いつきの連続でかいています。名作の秘密とて、昨日の夕食のおかず程度の謎しかないものです。作者が亡くなって検証できないから、無駄に深読みされているのが真相です。 |
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――名画研究に出てくる安定した三角配置や、正確な黄金比などはすごいなと思いますが? 名画を今日計測してみると数学的な法則にぴたり一致する構図になっているとか、その構図をフリーハンドでつくれた画才ゆえに名作になったとの話には、注意がいります。法則から外れた例をカウントしない一例報告だとすれば、統計的に無意味だからです。 |
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――説明したとおりにバッチリ当たっている絵に、驚く時がありますが? 「黄金比の名作」だけでなく、「黄金比の凡作」や「黄金比でない名作」も調べて、確率を算出して初めて構図の効力が裏付けられます。そこまで調べないなら、偶然の符合と結論されるわけで。例えばベラスケスの『ラス・メニーナス』は、画面の配分が相当にアンバランスです。おかしい名作。迷作。名作が安定構図とは限らないわけで。そもそも、有名な中からうまく当てはまる作品の、しかも当てはまるカ所だけをねらい撃つように抜き出したのでは、雨男といっしょです。 |
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――肖像画の多くが斜め左向きなのは、画家の目が選んだという説がありますが? こういう推理を聞きました。人の顔は左右非対称で、本人側から見て顔の右半分がやせて暗く、左半分がふくよかで明るい印象の人が多い。その違いを、観察力の確かな画家はさすがに見逃さなかった・・・と。 |
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――画家は、モデルの顔を正確に分析していたのですね? そして印象の良い、好感が持てる側を絵にしようと考えて、左のほおが前に出るように描いたのだ・・・と言う説明です。つまり、左のほっぺたが多く見えるよう、顔を正面から少し右へ向けてくれと、画家がモデルに指示したという・・・ |
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――順を追って聞くと、まあまあ納得できそうな説ですが? この説はウソっぱちです。もし本当なら、画家は単なる人間カメラだったことになります。実際には写実具象とて、いつの時代も多少の変形で、モデルを美化するのは当たり前でした。わずかに暗く沈んだ側を、明るく優しげにデフォルメするのは容易だし、誰だって無意識にそうします。 |
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――デフォルメ変形したら、もはや写実とはいえませんね? 変形せずにかくという、そんな概念が成り立つかも怪しい。顔感じの左右の違いを足して2で割り、総合的にモデルの印象に近づくよう肉付け調整するはず。絵の具はいわば化粧品なのだから、画面に筆でメイクアップするだけの話で。 |
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――画家は、そんないい加減なものなのですか? いい加減です。画家はマシーンのモンスターではないのだから、手元だって狂うし、癖もあります。同じモデルを別の画家がかけば、別の顔つきになるわけで。この手の逸話は、どれも画家の眼力と手の精度を買いかぶった超人伝説です。皆さん、絵を鑑賞する時に、肩に力が入りすぎてガチガチ。画家は、もっとルーズ。というか、もっと普通の人です。 |
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――でも肖像画の多くに共通する統計の数字があるなら、やはり何かがありそうですが? ところが実は、多くの肖像画が左向きといっても、圧倒的な差があるのではなく、誤差ではない程度の小差です。近世、近代、現代と、新しい作品ほど、差が消えつつある報告もあります。多角的な統計やアンケート、実験をまとめた研究が報告書になっていますが、そこでは有意の差の理由を実は特定できていません。雑誌社やテレビ局内で勝手に、特定できた話につくり変えていたのです。 |
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――絵をかく立場から考えて、何か手がかりはないのですか? 私は、ノートにかいた人間、自動車、飛行機、魚、怪獣の横向きや斜め横向きの絵が全て左向きだと、小学生の時に気づきました。統計の多数派と同じです。反対向きにかくと、手で鉛筆を押す動作がやりにくいと気づいていました。だから当時、利き腕のせいだと思ったのです。ならば世の中の肖像画の右向き左向きが、小差にとどまっている点が逆に不思議です。右利きの画家がずっと多いから、ドーンと差がつくはずなのに。考えられるのは、たくさんの要因で決まる顔の向きが、たくさんの要因の加減で偶然ばらついている、それだけのことです。全国の鈴木さんと田中さんのマイカーを調べて、車種の分布がぴたり一致しない現象と同じです。 |
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