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電子美術館のQ&A

16 歴史に残る美術は、なぜキモチワルイ

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2007/4/30

――この変なテーマは、どこから来たのですか?

子どもの頃の正直な感想です。西欧美術のダイジェスト本で名作を順に見ると、独特の不気味さがありました。例えば古代エジプト美術は、美しい説明文をよそに、作品はまるで「呪いの世界」です。また1200年代からの中世宗教絵画には、暗くグロテスクな作品が数多くあります。

――ルネッサンスでは、一転して作品が明るくなったと言われますが?

それでも名作は単純に明るくはありません。1500〜1600年代のダ・ヴィンチもミケランジェロも、洋館に飾ればオカルト映画に使えそうな陰うつさがあります。絵の具が退色し、暗色に落ちた分を超えています。残酷と残虐が、芸術の成否を決めるのかと思えるほどです。

――近代になると、気持ち悪い作風は消えたのですか?

続きました。ゴッホもセザンヌも、異形に違いありません。ガサついた少女のルノワール、ろくろ首のモディリアニ、妄想の声が空気を染めるムンク、中世のグロテスク再来のダリ。名作の呼び声がなければ、気のきく人がさっさと始末してくれそうな「やばい絵」だらけ。明るく陽気な名作などはなく、ふんわり優しい美だとか、さわやか系など気持ちの良い美術は、淘汰されて残らない実態がわかります。

――例外はないのですか?

意外にも当てはまらないのは抽象です。特に純粋抽象のカンディンスキー、モンドリアン、初期のミロは、不気味さやグロを感じさせません。おそらく抽象というだけで文明国の目に破天荒に映り、十分薬が効いたからでしょう。

――「世界の名作は気持ち悪い」を、法則にしたきっかけは何かありますか?

中学校の美術の教科書です。西欧の名作に混じって、「生徒作品」と記された関連のある新作が掲載されていました。生徒作品は歴史名作に比べ「明るい」「軽い」「ぬるい」という共通の特徴があって、一目でそれとわかりました。

――西欧以外の美術も、気持ち悪い作風なのですか?

非西欧の一例が太平洋の美術で、ポリネシア、ミクロネシア、メラネシアの彫像には、やはりある種の不気味さがあります。特に出来がいいメラネシアの木彫りは、神がかった威圧感を持ち、子どもは恐がりそうです。それをインテリアに使ったトロピカル系のエスニックレストランがあるのは、海外旅行ガイド本などで多くが見慣れたからかも。

――なぜ気持ち悪い要素を持つ作品だけが、歴史に残るのですか?

仮説ですが、芸術を求め、愛でる神経の大元には、人間の感情と動物の本能が交錯している気がします。「安泰」「いやし」を踏み越え、「畏怖」「危険」の向こうに誘われるのは、そこに生じる充足感が郷愁のように、種のDNAに刷り込まれているからではないかと。「きれいな絵は飽きられる」というよくある経験則は、メカニズムが奥深いともいえるし、単純ともいえるでしょう。

――取りあえずその法則で、遠い将来に残る作品を、皆で予測できないものですか?

可能ですが、リアルタイムの判断材料にして行動する人は、かなり珍しいでしょう。短期的には人間はぼん悩を持つ感情の生き物なので、お墨付きなど抜きで気持ち悪い作品に好感を持つとは考えにくく、一般的な行動は逆にしかならないでしょう。

――もし皆がいつまでも気持ち悪がり続けたら、モディリアニもムンクも消えたかも知れませんね?

もちろん絵画芸術は成り立ちません。つまり例外の人がいて率先し、皆の好奇心を呼び覚まして拾うことになりました。ついていけない人は、例外の人を扇動家と思っているわけで。この確率的な面でも、大勢の目を通さない作品は短命なのです。例えば独裁国がつぶれて民衆が解放されると、内部の美術家の序列が御破算になるのはこのためです。

――ただ、モディリアニもムンクも、日本人が好きな画家だそうですが?

「名作」「具象」「パッと見へんてこ」「よく見れば深い」の4つが理由だと思います。最初が権威、次がわかりやすさ、そして個性、しかし最後に来る語が浮かびません。好きとはいえ日本人は概して人物画が嫌いで、『モナリザ』型の肖像画をはじめ、モディリアニやムンクも家に飾る人は少数です。飾るなら、やっぱり風景画。

――名作を注視して感じる「深さ」とは、具体的に何ですか?

中学の教科書に出ていた「生徒作品」の特徴は、「明るい」「軽い」「ぬるい」でした。その反対の「暗い」「重い」「厳しい」が相当すると思います。

――1980年代の素材美術が一過だったのも、その法則で説明できますか?

気づきにくいのですが、展示場の床に落ち葉や石を散らした環境作品や、家電や古タイヤを積み上げた廃棄物作品に、実は気持ち悪さはありません。サプライズや虚無感はあっても、不気味さはないのです。歴史名作に必須の「畏怖」「危険」がない点では、やはり法則にもれません。

――見る人が芸術を気持ち悪がる程度は、時代変化しますか?

「深さ」への感性は、いつの時代も完全には消えません。例外はいつもいる。ただ今の世相として、畏怖と危険の許容が狭い感じはあります。例えば、室内の照度が部分的に暗いだけでも苦手な人が増えたとか。あるいは小学生から高校生まで、「おまえ気持ち悪い」「暗いやつ」と、日常的に口にし合うなどもその断片かも知れません。

――他人をいちいち気持ち悪がる風潮は、美術とも関係があるのですかね?

どんな絵や彫刻にも、擬人化された表情と顔色があります。人への許容が狭い同じ時、同じ地では、創作への許容も狭いと推測できます。空気を伝って、全体が連動するわけで。実際、トレンド美術のギャラリーなども、暗い作品を展示したがらないのが今日的な傾向です。まるで現代のトイレみたいに、美術にも「明るく清潔に」を求めています。

――ギャラリー側は、そんなに神経質なのですか?

以前、私が小ギャラリーへ展示の相談に行くと、そこのマネージャーもやっぱり例によって「暗いのはお断り」と釘を刺しました。会場を示して、「本当はああいうのもやりたくないのです。暗いでしょ?」と・・・。見ると確かに雰囲気が何となく暗い・・・。ただ、その時の展示物はステンドグラスです。黒ワクに濃い色ガラスが光り、白やパステルカラーは少なく、第一に展示室の照明も落としているから、暗くて当然だと思いました。この程度でいちいち禁止だなんて・・・

――ところで、美術の大半が感じがいいのは、食べていくために作者が妥協したとも聞きますが?

たぶん俗説です。「美術は本来自由だが、生活もあることだし」という理由で、気持ち良い作品を作る人は実際にはいないはずです。その証拠に、裕福になってから気持ち悪い作風へ転向した例を見ません。金銭目当てに自分を曲げる美術家は、おそらくいないのです。

――ではなぜ新作美術の多くは、歴史に残った美術と特徴が逆向きなのですか?

人格を疑われる心配もあると思います。例えば存命中のピカソは、「天才と狂気は紙一重」の格言を、しばしば悪い意味で使われています。精神科医が絵を分析して、作者は精神を病んでいると結論した記事もあります。本当は、絵についていけない医者自身の弁解なのですが。ロックンロールは狂っているとか、病気だとか、年配者がけなすあのたぐい。今だって、「ピカソは写実もこなせたから正常な人らしい」と、その尾を引いたフォローが時折顔を出すほどで。

――病気説が通るなら、古代美術の作者も皆、精神を病んでいたことになりますよね?

遠い過去だから、許しているのかも知れません。20世紀にあんなふうに作るとどうなるか、その結果がピカソへの激しい人格攻撃でした。普通の市民社会では、おかしい人のレッテルを張られたらおしまいです。まして日本で「暗い」「重い」「厳しい」作品を出せば、その不吉さに周囲は引き、友人は減り、異性も距離を置くでしょう。出世もまあ無理・・・

――やはり突き詰めれば、画家自身が売れ線から外れまいとする意識がありませんか?

それ以前の、自己人格を肯定する意識だと思います。自分で見ても他人から見られても、まともな人でありたいという「人間の尊厳」は、お金より大事なものです。だからこそ金額を積んでも、歴史に残る作品ができはしないのです。

――でも歴史に残るのは、画家の夢ではないのですかね?

まあ夢はあっても、宝くじのように待つだけの夢もあります。今時、歴史に残ってやるなどと息巻けば、ドロップアウトは免れません。画家の本心はむしろ「ゴッホのようにはなりたくない」であり、これは貧乏への恐怖ではなく、社会からはじかれ孤立する恐怖です。

――最近の死体やわいせつ物など、エロ・グロ・ナンセンス美術は十分気持ち悪いですが?

確かに、祝福されて生まれる絵画芸術などなく、マイナー投身によって創造へ近づくのは間違いありません。ただエロ・グロは、写真、映画、漫画などで昔から一定のニーズがあります。裏ではけっこうメジャー。「脱いで咲く芸能人」同様、認定済みの手法なわけで。「まさか美術に持ち込むとは」という意外性以外が欲しい点では、他の美術と共通の悩みがあるでしょう。

――歴史名作並みの気持ち悪さを、作者はどうすれば得られますか?

動物の本能と関係があるとすれば、何もしないと出て、何かすると引っ込むことでしょう。引っ込めてしまう余計な何かとは何か。それは美の追求でしょう。努力して美しいものを得た時すでに何かをし過ぎて、きれいだけれど足りない作品になると考えられます。

――「何かをし過ぎる」というのは、具体的にどういう行為でしょうか?

前に出した「幼児の絵」の秘密は、「つくろわない強さ」でした。「何かをし過ぎる」の内訳は、成長した子どもが「らしく」作る作為と同じと思います。美しく整えるほど、「明るい」「軽い」「ぬるい」に向かいます。体裁重視の生徒作品に比べ、歴史名作は「らしさ」の装いがはぎ取られ、何かがむき出しです。暴露された何かがあるという。

――暴露された、むき出しの何かとは、何ですか?

生存本能かも知れません。

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