現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館のQ&A

17 現代美術がネタ切れになる日

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2007/6/6

――美術はいつか、アイデア切れになりませんか?

もちろんなります。美術分野が停滞せず順調に前進するなら、着想、意匠ともいつの日かは出尽くす理屈で、その傾向は前々からあります。ただ、こんな答え方は珍しいはずで。というのは創作家にも心意気があって、普通は次のように答えるからです。「いつの時代にも終末感はあったが、先駆者が新しい創造を切り開いてきた・・・」「昔も今も状況は同じだ・・・」。

――美術の表現が出尽くす心配は、本当に昔も同じだったのですか?

悩みは常にあったはずですが、昔は小さかったと思います。作風には幹があって枝葉があります。皆で枝葉を加えて埋め尽くすと行き詰まりですが、別の幹が見つかれば振り出しに戻り、枝葉を張る余地が戻ります。昔は幹を見つける作業が、全般にスローテンポでした。

――今はハイテンポなのですか?

ハイテンポは20世紀の、しかも抽象美術で起きました。まずは西欧美術界で、抽象造形という森が丸々一個発見されて大元がリセット。一気に大幅に、できることが広がりました。ところが、せっかく広がった可能性を急いで食いつぶすかのように、皆で消費していったのです。

――幅広い作風が可能な抽象で、なぜ枝葉が過剰に増えて早く埋まったのですか?

ひとつは、参入した抽象美術家が多かったからです。ちょうど電話番号や自動車のプレートナンバー、インターネットアドレスの急な枯渇に似て、美術ブームでアイデアが枯れ始めました。

――美術家のラッシュ以外に、原因はなかったのですか?

画像情報の急増も一因かも知れません。20世紀も半ば以降には、前半期分の作品集が手広く出版されました。その推進力は、写真フィルムと印刷輪転機のフルカラー化です。総天然色というやつ。現物を見なくても、本などで形や色がわかる時代の到来。こうして他人の作品を手広く見て参考にしながら、アイデア拡張するスパイラルが起きました。要するに模倣の連鎖です。

――その2つだけで、作風の枯渇は起きるものですか?

最も注目すべきは、抽象美術が常に革新を期待される点です。モデル似でとりあえず形になる具象と違い、抽象は何にも似ずに感動をつくらねばなりません。「何かに似ちゃだめ」では、作風はダンゴ状にかたまらず広がり、拡散します。

――具象の方は、作風は拡散しないのですか?

具象を逸脱しない範囲は狭いので、拡散は抑止されます。拡散したら、具象ではなくなるわけで。抽象の変化(へんげ)ぶりに比べれば、ルーブル美術館の具象名画コレクションさえ、500年分を十数人程度の画家が手分けしたかのように、作風バリエーションは小さいものです。具象で個の差はあっても微妙で、抽象のミロのような専売特許的な特徴となれば珍しいぐらいです。

――そういえば具象絵画は、互いに作風が似ても叱られませんね?

具象は露骨な盗作を除けば、画調が他と酷似しても突っ込みは入りません。ところが抽象だと、意匠が違っても雰囲気が似ればいちいち指摘されるし、以前の自作に似ても不満の声があがります。「足踏みだ」「マンネリだ」と。具象では足踏みもマンネリも問題視されません。つまりは抽象のマンネリとタネ切れこそが、現代美術の行き詰まりの正体です。

――絵以外でも同じですか?

彫刻でも、他と取り替えて通用するようなよく似た抽象作品は、存在意義を問われます。しかし具象彫刻は裸婦の銅像がそうであるように、大勢がまるで1人展のごとくウリ二つに酷似し合っても、お叱りも嘆きも出ません。類似作多発により行き詰まったとの悲観的な意識は、彫刻でもやはり抽象でのみ生じています。

――他の作品の模倣が、なぜ具象だと○、抽象だと×なのですか?

決まりはありませんが、強いて言えば具象は写実行為であって、一種のコピーです。物を写す時点で、すでに模倣作業になっているという。対して抽象は「見た姿と違う形を作れ」と、こちらは開発がノルマです。なので横同士の模倣も、最初からNGが建前になります。

――自然を模倣せよという、昔の絵の極意がありませんでしたか?

大筋では、具象は「受け継ぎ」、抽象は「断ち切り」が要求されます。そして抽象に「受け継ぎ」が目立ち始めた時に、「美術はそろそろ終わりか?」との心配が起きたわけです。

――抽象の出現以降は、○○派、○○主義という美術運動がたくさん出ましたね?

幹の林立です。そうして短時間に「すき間産業化」しました。今の抽象美術家はすき間が一通り埋まった後の、さらに狭いすき間探しを余儀なくされます。当然、過去と大幅に違う作品はできにくく、似たものがどこかに存在するでしょう。

――個性をなくそうと唱えた主義主張もありましたね?

美術の思想の多くは後付けです。あらかじめ用意した思想に沿って、作品を作ることはまずありません。アンチ個性思想は、美術の行き詰まりが言われた頃にいっせいに出てきたので、客も「ハハーン、そういうことか」と思ったでしょう。

――それにしても、「この程度なの?」というヤワな抽象美術が目立ちませんか?

以上の原理から、抽象は全てが「ただ今実験中」なので、成功作は見当たらず、「失敗に見える怪作」と「失敗作」が並びます。具象が成功例を受け継ぐのに対し、抽象は成功例を断ち切るので、抽象同士で玉石の差が開きます。計る物差しも追いつかず、玉が石で、石が玉かも知れません。

――具象の作風が温順なのに、抽象が奇抜なのは、それと関係があるのですか?

それも「受け継ぎ」と「断ち切り」の違いです。抽象は、@何も受け継がないから見慣れない作品となる、A実験のアピールにはサプライズが必要、Bすき間が狭いと作風だけでは差が出ない。このBは、造形とは別にコンセプトの付加価値で差をつける手法にもつながっています。

――そんな抽象で、作者がタネ切れを防ぐための策はありますか?

簡単なのは情報遮断です。作品情報を仕入れると、イメージに引き寄せられ、自分の作品が留守になりがちです。逆に何も知らないと、バッティングしにくいはず。既成作品を見て参考にして、そのスキを突くという手順が、すき間産業へと小粒化する敗因になっています。

――しかし美術学校で学ぶ以上は、情報を断ったりなどできませんよね?

おそらく通常の美術教育は、「受け継ぎ文化」たる具象に効果的です。そのやり方で手広く学習した上で、逆に「断ち切り文化」の抽象を生み出すのは困難かも知れません。それと関連しますが、芸術の都に画家が集まれば、刺激で自己活性する代わりに、「受け継ぎ」も起きやすいと考えられます。勉強することで、やることも互いに似たり寄ったりという。

――美術以外のジャンルでも、行き詰まりの声は聞こえますね?

音楽では常に言われ続け、12音階メロディーの絶妙の並べ方は先人がほとんど使っています。「近頃は素朴で心にしみるメロディーが出ない」「変にひねった曲が多い」「出がらしのお茶のように薄い」とリスナーが寂しがるのも、今の音階の中では致し方ありません。もし昔の巨匠作曲家を現代に連れて来ても、すき間探しを始めることでしょう。

――映画でも、似たことが言われていますね?

基本アイデアは焼き直しが増えます。例えば走行中の馬車の上で戦うシーンだとか、事件の捜査を命じた上司が犯人の黒幕だったストーリーなどは繰り返されます。それでも映画の多くは、最近の事件や世相などから温め、トータルでオリジナリティーを出しますが。

――歌舞伎や能のような古典芸能では、タネ切れの問題はなく安泰ですか?

実はそうした分野にも、受け継ぎの古典演目とは別に、断ち切りの現代演目があって、現代美術と同様の悩みがあります。ジャンル一個が一様に古典化することはあまりなく、内部で受け継ぎと断ち切りに分かれます。一人で両方やる場合もあるでしょう。

――今に現代美術も、古典芸能に仲間入りしませんか?

以前「地方の時代」のブームで、駅前や市民広場に直方体や球のオブジェが流行しました。シャープに輝くステンレスの無機形態を使って、どんよりした銅像の古色と決別する目的意識がありました。しかし幾何学形態に著作権がない利点の裏返しで、当世地域文化の画一性、没個性、規格化を演じました。ここでもまたニューとユニークの取り違えがあって、未来指向が後向きのメッセージを送った例です。

――新しい美術も、新しい美術らしさを頼るのですね?

新しいっぽささえが、受け継ぎネタとして保守系になってしまうわけです。そこで私は、尻取り制作をやめて今ふうアートを断ち切ることを考えました。「先例からインスピレーションを得て、派生を作る」という方式をとりません。本歌取りをしない。すると制作ソースは自分の過去に限られるから、今も中学時代のイラストを虎の巻として持っています。

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