| 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ | |
19 芸術の矛盾 |
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2007/8/6 |
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――矛盾なんて世の中にあってはいけないと、普通は考えませんか? 「矛盾はなくすべし」と矛盾の出現自体を批判することは、一面的な行動です。やむを得ない矛盾や、あって当然の矛盾もあるからです。取り除くのが不可能な併存の摂理だとか、相反する関係で役に立っているとか。 |
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――あって当然の矛盾とは、どういうものですか? 「生命を尊ぶ矛盾」という命題があります。人が生きるには必ず他の生物の命を奪い、食べて吸収する宿命からくるものです。この罪を消そうとして、色々な線引きが考えられました。菜食主義の立場では「植物は生物でない」ときて、愛護主義は「野生と家畜は別」、現実主義は「死なせた犯人は食品業者だから自分は潔白」などなど。 |
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――ペットをめぐる命の問題なら、聞いたことがありますが? 四コマ漫画『サザエさん』にも、関連モチーフがありました。鶏肉がごちそうだった時代に、夕食卓でなぜか家族一同、言葉少なく沈んでいる・・・。実は庭で飼っていた鶏を料理したというオチ。現代人が動物の命の摂理と残酷を考える一幕でした。 |
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――美術にも、そうした板ばさみのような矛盾はありますか? 例えば「見せる矛盾」。作者の生きる証とやらは、作品の完成時に実現されて済んだはずなのに、なぜ作品を作りためて表に出すのか?という疑問です。作ることが生き甲斐ならば、キャンバスをたった1枚だけ用意して、生涯そこに絵を重ねてかき続けたらいいのに・・・ |
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――無茶な問いに思えますが? 制作行為をさも純粋な清き営みであるかのように崇拝する美辞が耳ざわりで、突っついたと思われます。本当は誰だって、作品の量がそろうと何かするつもりです。展示会とか、画集とか。先の疑問は、「他人に見せる前提で絵をかけば、リアクションへの構えが前もって混じり、純粋なわけはない。なのに、画家たちは口八丁で純粋を気取っている」と、一種の揚げ足取りで突っ込んでいたのです。しかも実はこれ、私が当初実際に言われたことです。 |
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――表現で葛藤が起きる次元では、色々な矛盾がありそうですね? 「自分を出す矛盾」があります。仮に作者が最終目標どおり、自分の全てを余さず作品に出し切ったとします。すると心が丸裸で、耐えがたいというか照れくさいというか、心苦しくて作品を人に見せられないはず。逆説的に、作品に出ている人柄とやらはウソで、表向きの演技でつくろっているはずだという意味です。絵はしょせん建前だろうと。猫をかぶっている。現に大人の絵は、幼児のように奔放でないわけで。 |
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――それと似た、「暗い人の絵は明るく、明るい人の絵は暗い」は本当なのですか? 子どもの頃その説が気になって周囲を観察しましたが、どうやら迷信だと理解しました。なぜ説が気になったかというと、自分が当てはまったからです。しかし、全ての人に明るい面と暗い面が必ずあるので、どちらであっても当たったことに解釈できる「フリーサイズ」だと後で気づきました。 |
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――現代美術ならではの、今日的な矛盾はありませんか? 「破壊の矛盾」が代表的です。これは破れた作風が、ある飽和点から先は逆に刺激が弱まる逆進性です。音楽では知られた現象で、例えばクラシックのストラビンスキー(1882〜1971)の破壊の作法を学んだ後進たちが、『春の祭典』よりさらに音楽的成分、有意の旋律、協和音、リズム秩序を排除して作曲したら、逆に印象に残らない退屈曲になったというものです。 |
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――「行き過ぎた表現はアウト」という、教訓と受け止めていいのですか? トータルバランスの問題か、絶対的なボーダーラインがあるかは、容易に立証はできません。というのもストラビンスキー自身も、かつて行き過ぎを非難されたからです。芸術ができたか失敗したかは、「行き過ぎ」の語では計れません。この曲がボイジャー1、2号のレコード盤に収録されたのは、人類の到達点の上限として選んだ意味もあったのでしょう。 |
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――音楽の『春の祭典』に相当するのは、絵ならどのあたりですか? ピカソの『泣く女』が思いつきます。この絵よりさらにテンションを上げようと一段と壊せば、プツンと切れてテンションが逆に下がります。破壊を無限にエスカレートしても、緊迫感は無限にエスカレートすることなく、早い時点で逆効果に転じるのです。実際、ピカソ本人がさらに崩れた絵をかけども、刺激は逆にゆるみました。 |
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――表現のピークは、常に未来にあるとは限らないわけですね? 前に出した「創作がたどる4段階」は、作風には一度きりの旬が存在し、その後はがんばっても落ちていく仮説でした。この4段階の中に現れるピークに似た上限が、「破壊」という概念でも起きています。 |
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――作品をどこまで壊せるかという競争は、どこまで続くのですか? 音楽や映画では、早く曲がり角が来ました。無音のコンセプト音楽『4:33』や各種ノイズ音楽、あるいはコラージュの実験映画『アンダルシアの犬』やセリフのない興行娯楽映画『2001年宇宙の旅』あたりを記念碑として、さっさと次へ進んでいます。しかし美術では、曲がり角が遅れています。 |
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――なぜ美術は、なかなか次へ進まなかったのですか? 「自由の矛盾」が考えられます。自由奔放の恵まれた境遇で、惰性が起きて低迷する現象です。普通に考えれば、制約があればじゃまされて作品は萎縮して実らず、反対に制約が消えれば存分に羽ばたけて豊かに実る感じがします。そうなれば、元来制約が小さい美術は、同じところに長くとどまらずに、さっさと前へ進んでいく気がします。ところが現実は逆に、自由なほど足踏みを長く続けるのです。 |
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――自由を標榜した作品は硬くなるという、あの話を思い起こしますね? 1960年頃の音楽界で、フリーダムミュージックが流行しました。曲づくりを束縛するルールを外す試みです。リスナーにとっても好きに聴ける、入り口の広い柔軟な音楽に思えます。しかし逆でした。カリカリと神経質な、ストレスのたまる曲です。作曲と演奏側が束縛から解かれ、自由になればなるほど、リスナーは不自由に縛られ肩がこり、頭痛に見舞われました。 |
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――売ることの制約が作品を堕落させるとの一般認識がありますが、これはどうですか? 相関関係はあまりありません。音楽室に張り出された年表の大作曲家たちの名曲は、大半が金目当ての商品だったと知って、意表を突かれた覚えがあります。『だったん人の踊り』のボロディンのような素人作曲家は例外で、ほぼ全員が曲を売って生計を立てていたようです。かえって非商業の実験音楽の方が、さっさと消えているのが気になります。 |
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――芸術はアマチュアが有利との考え方は、今も何となくありませんか? 「売るには作風に妥協が必要なので、売り物は本当の芸術にならない」という推定は、実は当たっていません。先に触れましたが検証は簡単で、売ってもうける必要がないほど裕福になった画家であっても、作風がシリアスへと変化はしません。売るために自分を裏切った絵をかく画家は、実際にはいないと考えられます。売る絵も売らない絵も、一人の画風は同じになるものです。 |
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――芸術に関する最大の矛盾は、何ですか? 芸術の存在をめぐる矛盾です。芸術とは創造であり、作品が前例からはみ出していたり、はみ出そうとした形跡があります。「とてもきれい」が取りえでは、芸術的には落第です。ところが人間ははみ出しにイヤな感じを受け、自尊心への攻撃とも受け取ります。芸術性が高いと背が向けられ、芸術性が低い方が好まれる理屈なのです。 |
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――でも、そういうものだと最初から知識があれば、そこまで計算に入れて逆対応できませんか? 「これ、ちょっとヤーね」と感じたら、誰もそこから動けないでしょう。誰しもいやなのは他人のあからさまな独自色で、これは気分の問題でなく本能の領域です。「主張する美術は好みでない」という本音は、ネットでもたくさん告白されています。誰かが芸術の話を始めたとします。その人が個性のあるものを芸術と考える人か、ないものを芸術と考える人か、どっちでもいい話ではなく、イデオロギーの対立とも違います。 |
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――しかし原理さえわかってしまえば、逆の行動でうまくいく理屈も成り立ちますよね? 中にはゴッホ並みの新人を探そうと、ネットを見回る人もいるかも知れません。それだと原理の理解と行動がもう一致しているから、解決してしまっています。 |
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――この絵がどうしてこの価格なんだと、矛盾を感じることがありますが? 俗に「価格と芸術性は関係がない」と言われる根拠は、やっぱり人類が美術が不得意な点に行き着きます。トンデモな理由で価格が上下する例は、美術に限ってたいへん多いのです。 |
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――絵だけ見て価格が理解できないのは、どういうケースがありますか? 例えば、国際政治で活躍した人の直筆絵画が、政治手腕への評価が上がっていくのに合わせて高騰するなどです。逆の順序、すなわち絵の高騰を受けて政治手腕の評価も上がる、という現象は起きません。従属して動くのは、必ず美術です。一例に、イギリスの偉大なチャーチル首相がいます。 |
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――それは美術に特有の現象なのですか? 映画の評価は、他の功績に従属しないようです。アメリカの偉大なレーガン大統領は、元々映画俳優でした。当選して世界のリーダーになったのを受けて、彼の過去の主役映画が日本でも次々と放映されています。しかし彼の政治的偉業が再認識された後でさえ、視聴者は彼の映画を再認識も特別扱いもせず、映画の内容だけで採点しました。はっきりいって低い評価です。誰もゲタをはかせない。絵で起きるような評価アップは、映画では起きていません。 |
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