現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館のQ&A

24 具象絵画は終わりか

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2008/6/15

――抽象絵画をかくには、古典的な写実具象の基礎を学ぶ必要はありますか?

学んでも学ばなくても、1人の到達点は同じかも知れません。美術界のおきてに、「クールベ並みの絵をかいてから、抽象に進みたまえ」がありました。「写実が未熟なら抽象へ手を出すな」の規制。ところが古代シュメール人はルールに従っていません。彼らはクールベを学ばず、写実デッサンがロクにかけもしないのに、抽象作品が得意でした。

――古代はまあ別として、近代の優れた抽象画家は、みんな写実がうまいですが?

それはよくあるギャグです。20世紀抽象絵画の大物たちは、写実から抽象へ価値を広げた歴史偉人その人です。彼らは、片方からもう片方へ価値を移した草分けゆえに巨匠と呼ばれます。なので、2つともこなせたのは当たり前。過渡期にAからBへ橋渡しした人は、AとBを両方手がけているに決まっています。これは20世紀の特殊事情であり、普遍的な法則ではありません。

――でも抽象美術を作る時、具象が勉強不足だと造形でコケそうですが?

シュメール人は誰一人として写実具象を手がけないのに、抽象作品に成功して、コケていない、それはなぜか。「クールベより6800歳年上なので、会えなかった」というのも一理あります。そこを、しょせん才能しだいと言えば身もふたもありませんが、ひとつは抽象と具象が元々「縦の関係」でないからです。

――ならば、横の関係なのですか?

その方が近いでしょう。美術制作には「抽象的方法」と「具象的方法」があり、2つの混合比で作品が成立します。そこに個人的な作風やカラーが加わって、無限のバリエーションが生まれるのです。この並立関係を、勝手に主従関係へ持っていくから混乱が始まります。

――でも私たちは普通、世に具象が先にあって、後で抽象が派生したと思っていますが?

抽象はずっと昔からあり、常に具象と同時に存在します。「どちらが先」「どちらが基盤」の関係とは違います。強いていえば、時代をさかのぼるほど抽象が割合的に増えます。しかしだからといって、抽象が具象よりも先にあったりもしません。

――ではなぜ皆の心得では、具象イコール基礎で、抽象イコール応用なのですか?

トリミング効果による早合点です。西欧絵画史で近代の「ある部分」を抜き出せば、その結論になります。実は私たちが鑑賞するターゲットは、限られた時代と国の美術です。心得の元ネタとなった、観察する範囲が狭いのです。

――美術ファンが対象とする美術は、どのくらい狭いのですか?

現代人が普通に鑑賞する対象は、第一にクールベ後の美術で、特に印象派以降のヨーロッパ絵画に集中しています。古い方だけでなく新しい方もカットされ、1960年代以降のコンテンポラリーアートに関心を持つ人は激減します。つまり世間で言う「世界の美術」「グローバル・アート」の正体は、1870年から1960年までの、西欧絵画90年史の範囲です。

――たった90年間を見つめて、回転していたわけですか?

クールベからモンドリアンまでをたどると、トリミング効果によって、「昔は具象ばかり。その後抽象へ発展した」との結論しか出ません。「パリの90年」、これが今日の私たちが共通話題にできる美術の時空であり、アートのビジョンを支える情報ソースの全貌といえます。そこから一歩出ると話が通じにくくなって、ほとんどマニアの世界という。

――確かにエジプト美術は、その90年の美術観には収まりませんね?

時間的にも空間的にも、範囲を広げるほど具象と抽象がミックスした中間的な形態が増えます。エジプトやオリエントもそう。例えばアステカ(現メキシコ)美術は、唐草のような模様の端がへびの頭だったり、マンガチックな顔だったりして、具象か抽象かに二分できません。

――でもエジプト美術も、前から教科書にちゃんとのっていますが?

読者は考古学的な目で見ているようです。美術を見る目と違った「遠い目」で、そのせいか授業でかく絵にエジプトやオリエントをまねる生徒はまれです。エジプトの4000年はパリの90年より、私たちの中では小さく遠くにあります。ツタンカーメン王の秘宝がそうであるように、エジプト美術はしばしば黄金のまばゆい輝きと、現代相場に換算した査定額でひきつけました。時価何億円分の純金だとか。

――そうすると古代人の方が、現代人よりも抽象造形が得意なのですか?

そうなのかも知れませんが、古代と現代の大違いのひとつ「写真」に注目したいと思います。私たちが絵を見る時、「写真をくずした表現」という前提で接します。現代人は、絵を写真と比較する思考回路が発達しているのです。

――現代人が、絵の原型を写真に置くのはなぜですか?

ひとまず、私たちの時代が絵の時代ではなく、写真の時代だからだと思います。

――写真では出せない、絵の良さを大事にする画家も多いと思いますが?

現代の具象絵画は、ほぼ写真の川下にあります。古典的な風景画家さえ、絵の具箱やイーゼルを持って戸外に出る人はまれで、写真プリントを見ながら自宅でかきます。大作はポジフィルムや写真データを、プロジェクター機でキャンバスに映写してなぞります。近年の「絵の優位性」の正体は、しばしば厚塗り絵の具の触感(マチエール)がかもす高級感であって、表現内容の話ではありません。

――今日の具象画家たちは、そんなにも写真に依存しているのですか?

典型は肖像画ビジネスです。注文時に必要なのは、本人の出頭ではなく1枚の顔写真で、だから亡き人の肖像もかいてくれます。人物に限らず、例えば惑星や星雲、深海魚も現地でかくわけはなく、NASAや海洋研究所が発表した写真を見て、油絵の具に置き換えます。カメラが普及して以来、具象絵画は写真プリントを模写する作業へ移っています。

――そんな状態では、具象美術は終わっていますね?

「模写系」は終わったかも知れませんが、具象的方法自体は終わりません。抽象と具象は常に同時に存在し、ともに永続します。

――それにしても、なぜ日本では具象と抽象を、ことさら縦系列に扱うのですか?

「具象は基礎、抽象は応用」、そのココロは「芸より学」でしょう。これは学習指導要領でもあるし、管理の便法ともいえます。美術に限らず、何もかもを学問化する話はよくあって、これはアカデミズム(学部、学閥、教授など)を過度に信頼する風土の一面かも。「芸より学」は、いわゆる「官高民低」の端っこにあります。

――若い画家が抽象に走るのを、本部がやめさせようとしたわけですか?

「写実具象をマスターした画家のみ、抽象へ進める」のルールが徹底すれば、抽象は手が出ないオプションへ遠のき、参入者も減ったかも知れません。具象は抽象の後見人として、支配役になるわけで。

――なるほど、日本人が抽象が苦手なのは、そうした過去の美術教育が関係するのですね?

さすがに、その因果はありません。分野を問わず、抽象が苦手なのは人類全般の傾向です。例えば活字界で、ルポルタージュよりポエムの方が、理解できずにはじかれる人が当然増えます。音楽の歌詞でも、童謡は抽象表現を避け、観念的な詩は大人でも聴き手を選んで売れません。抽象が写実より売れる可能性など、最初からありもしないわけで。

――日本古来の美術は、意外に抽象的だそうですが?

確かに古い日本画には、簡略と飛躍の表現が多々みられます。例えば円山応挙(まるやまおうきょ、1733〜95)がかいた掛け軸の虎が、あまりに本物そっくりで、絵から抜け出た虎が人に襲いかかった有名な逸話があります。錯誤を起こすほどの本物らしさは驚きですが、しかし残された絵を見ると、フォト・リアリズムには遠く、今日のイラスト画に近いものです。

――同じリアリズム絵画といっても、ピンキリなのですね?

西欧画のリアリズムは、視覚的なリアリティです。対する日本画のリアリズムは、心理的なリアリティです。

――そういえば、日本画の写実は精度がイマイチという声もありましたが?

創作的、表現主義的で、再現精度は二の次です。これは能の舞台で、幽霊の出現を笛太鼓で「ヒュードロドロ」と鳴らす発想と同じです。現実にそんな怪音はないのに、心象の本物らしさが迫るわけです。

――そんな場面で、欧米ではどういう音を使うのですか?

アメリカ映画で幽霊出現にコオロギ類の鳴き声が使われることがあり、サウンドは具体的です。日本の美は、抽象化による超自然的表現に秘密がありそうです。

――西欧の油絵が多く輸入された明治時代には、日本画も混乱したようですが?

世界各地の伝統美術は西欧絵画とDNA交配し、新スタイルが生まれました。顕著な変化は影で、東アジアの平板な絵にも、影を加えて立体感を出しただまし絵(トロン・プルイユ)が出てきました。

――日本画家は、洋画が入ってくる以前は、写実に関心がなかったのですか?

日本はカメラ大国なのに、カメラ発明史への貢献は中小型カメラのコンパクト化にほぼ限られます。写真の原理自体の発明や、大判カメラとレンズの初期の基本設計に関与しない点から、江戸時代の日本画に、光景を目視どおり寸分たがわず再現したい強い熱意はなかったと推測します。

――最終的に、西欧の写実具象が世界中で強い繁殖力を持ったのはなぜですか?

それが写真の魅力で、世界中でカメラが愛好される理由です。私たちは写真の時代に生きており、だから写真の制約も受けます。絵を見ると写真との差異に目が行き、絵をかく時も写真が出発点です。写真に近い絵は優れて見え、遠い絵には違和感が起きて。応挙がかいた本物そっくりのトラの絵も、私たちの目には本物らしくないイラストに見えてしまうのです。本物の写真に釘を刺されているからです。

――写真から離れて、絵を考え直す必要がありますね?

今日の古典具象が写真の川下にあっても、現代美術は写真から離れています。代わりに流行しているのは、ジャンルのクロスオーバーやハイブリッドです。ミックス相手はグラフィックデザインが増えています。それだけで済ませて、やりたいことが何なのか自体が謎の作品が多いのです。「クールベ並みの義務」は「ジャンル越えの義務」に移ったものの、こちらの義務の性格上、作品の気が多い傾向はあります。

現代美術とCGアートの疑問と謎 もくじへ 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館へ戻る 電子美術館へ戻る
Copyright(C)2005 21SEIKI KOKUSAI CHIHO TOSHI BIJUTSU BUNKA SOZO IKUSEI KASSEIKA KENKYUKAI. All Rights Reserved.