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電子美術館のQ&A

27 現代美術は壊れた機械

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2009/8/2

――現代美術家は、いったい何を考えて作っているのですか?

意欲作の多くは、「現代」という時代を表そうとしています。社会現象に引っかけたり、さらに話を大きくして文明問題に関連づけたりもします。大作にその傾向があります。

――現代を、どのようにして表しているのですか?

定番は機械のイメージです。機械類を模したり、何かがメカニカルに変形されていたり。人が機械の部品に化けたりもよくあります。これらは社会体制を暗示しており、1947年にジョージ・オーウェルが著書『1984年』で示した、社会管理システムへの不安と共通したものが根底にあります。

――何かが壊れている作品もよく見ますよね?

崩れ落ちた物々、投げ出された破片。ボロボロに朽ちた何か。うらぶれた場末や廃墟。終末の光景。歪んだり、屈折した姿たち・・・。絵も彫刻もそういうモチーフというだけで、直ちに現代美術らしく見えます。

――廃墟の作品には、どういう意味があるのですか?

要するに死であり、人類の将来不安に重ねています。生と死の対比をねらったり、意味を反転させて希望が見えるプラス感情に持っていく場合もあります。以上の2つ「機械」と「壊れた」を合わせた「壊れた機械」は、いわば現代美術の模範回答といえるでしょう。

――崩壊した作品は、荒廃した気分を単に広めるだけに、終わったりしませんか?

それは起きやすい・・・。ただ多くは反語的なので、訴えたいことは逆です。例えば、ひもがグチャグチャにからまったオブジェは、複雑すぎて解けない社会関係に引っかけながらも、実は否定が目的です。「グチャグチャ万歳」ではなく、「これではまずい」へと裏返して。こうした善意をくめば、現代美術の難解さはゆるみ、物わかりの良いものになります。

――でも、からまったひもは、少なくともきれいではないと思いますが?

何を重視して現代美術を作るか・・・。欲しいのは、「現代らしさ」か「美術らしさ」か。「壊れた機械」は前者を指向し、「咲いた花」は後者です。現代性を重視すればするほど、きれいな花をまんま描く単純な処理から遠ざかっていくでしょう。

――きれいなイメージに対するアンチを続けたら、最後にはどうなりますか?

ひとつは、廃棄物に行き着くと考えます。ゴミ。

――そもそも現代美術は、進み方がハイペースすぎませんか?

進化が速いコンピューター業で、犬の短い生涯に例えたドッグ・イヤーという時間感覚があります。現代美術は20世紀初頭にはドッグ・イヤー的に進みましたが、1970年頃からは進みつ戻りつで、平均すれば牛歩的といえます。

――今だって、次はこれ、その次はこれと、スタコラ走り過ぎの感じがありますが?

意外ですが、現代美術の新作は過去の様式から、そう逸脱はしません。例えば、「縮尺が異なる物が並んだ」「小さな物が巨大に拡大された」「物の一部が代用物に替わった」「物がゴチャゴチャ貼り込まれた」「平面と立体が合体した」という新作を多く見ます。21世紀にも続いていますが、これらは70年前のシュールレアリスム展で多用された手法です。

――類型化はできても、最新の現代美術はやっぱり難解すぎませんか?

古典に比べれば、確かに現代美術は見る側へ要求するものが多くなっています。キャパシティーだの、ウィットだの、引き出しやら何やら・・・

――現代美術には、人を試すようなところもありますが?

実際、これでもかと逃げ切ろうとする美術家もいるぐらいで。追いついてくる客も増えていますから。

――現代美術に、攻撃的な作品も多いようですが?

心なごませるいやし系は古典の語法だから、現代美術はまず逆を向いています。壊れた機械もそうだし、ゴミもそう。

――そもそも反語表現なんてへそ曲がりが、うまく伝わりますか?

実は日本では、あっさり誤解されます。汚いものを作って、「これは悪い例えです」と言おうとしても、見物側は「汚いものをきれいだと勘違いした作品」「美しいものを知らない人」と、額面そのままに受け取る傾向があります。「全然きれいじゃないじゃん」と。日本では「反」のつもりで作っても「正」と受け取られ、反語は通りにくい表現のひとつです。

――それだと、作品作りの制約になってしまいますね?

たぶんシャレやジョークが通じる国では、反語表現も通じます。ギャグと芸術は理解度に相関関係があって、例えばエイプリルフールの扱いが芸術の扱いと似ています。外国語に多い反語表現に、「最後に負ける人」という言い方があります。意味は最強者への賞賛ですが、日本だと「負ける話は縁起が悪い」の反応が出かねません。裏返し表現が通用しにくいこの環境は、創作のハンデにはなっているでしょう。

――現代美術でよく聞く「主張する作品」とは、「戦争反対」や「環境を守ろう」を主張しているのですか?

その次元とは違います。美術の「主張」とは、他人に似た作品を作らない意思表示です。つまり独自作風の意味。新作を一目見て「やつのしわざ」とわかるものであり、絵に込めた物語やコンセプトの話とはまた別にあるのです。

――だとしても、絵に込めた物語の主張も、一応はあるのですね?

作品の主張という言い方は、それを指すことはないでしょう。そこは落語といっしょです。落語家の主張とは、他の噺家との違いを出す意味であって、登場人物のドジぶりや人情の厚さを主張しているわけではありません。

――壊れた機械の作品では、美点はどこにありますか?

時代の気分が率直に出ている点が第一です。私たちの時代を囲む風景は、有機的な土や木々や水よりも、無機的な機械類が多くを占めます。それが美術になれば、違和感があれどやがて共感も起きるでしょう。機械は美しいという感覚には、整然とした機能美とは別に、心象風景や郷愁もすでに含んでいると思います。

――壊れた機械の作品に、まずい点もありますか?

使い古されて、現代らしさの合い言葉になり始めています。いかにも、という。今ふう美術として型式が登録済みだから、冒険の前線ではなくなっていて。壊れた機械は、すでに商業デザインとしても重宝する定番になっています。なので、美術の中でパロディーや反語としてレトロ的に使われる段階になっていると考えます。

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