| 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ | |
33 芸術の何がどう誤解されてきたか |
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2010/1/27 |
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――人々に一番誤解されてきたのは、何といっても「芸術とは何か?」だと思いますが? 芸術はオリジナルづくり。そう私が解いたのは、美術史上の名作を分析した以降です。実態調査でデータを重視したこの結論の根っこには、歴史に残った作品は、残らなかった作品よりも芸術的であろう、という前提があります。 |
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――普通の認識では、「芸術的イコール写実的」ではありませんか? 確かに日本で「絵がうまい」と言えば、写実デッサンが正確で、モデルにそっくりだという意味がほとんどです。要は形態模写。尊敬するのは人間カメラ。ということは、「うまい抽象美術」という言い方は、一応日本にないとみていいでしょう。 |
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――それでピカソについて語る一般論は、核心から遠い周辺のエピソードばっかりになるのですね? ただし、抽象オブジェなどの奇妙な造形物を見て、そこに「芸術的」の語を連想する人も増えました。奇抜さを芸術の特徴とみなす考えは一般にも浸透していて、それを「うまい」とは言わないだけです。 |
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――芸術の語が何を意味するかは、たくさんのことが言われてきましたが、どれが本命ですか? 「芸術とは○○なり」は山のように出されましたが、実用的な使い方として、創作表現活動ジャンルの総称の意味がひとつあります。もうひとつは、優れモノに与える栄冠です。 |
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――優れモノというのも、あいまいでわかりにくいですよね? それもそのはず、美術作品が優れていると感じる根拠には、大きく2通りがあるからです。大元から2通りに分かれていることからして、価値の相対性を暗示します。 |
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――2通りある芸術の価値とは、具体的にどれとどれですか? ひとつは、何かに似ていることです。もうひとつは、何にも似ていないことです。見覚えがあるものか、見覚えがないものか。そのどちらを芸術として珍重するかで、人類は2つに分かれます。1人の中で2つに分裂することもあって。 |
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――よくある「きれいなのが芸術」というのも、誤解ですか? 「芸術はきれい」という誤解は、強大ではなくなりました。そうなったのは、歴史名作にグロテスクな作品が多いことが、中学の美術史教科書を見るだけでも、誰の目にも明らかだからです。多くの心に残るムンクの『叫び』も、きれいな絵ではありません。「芸術はきれい」と言い出したら、多くの事実を黙殺しないとつじつまが合わず、話がすぐに自滅します。 |
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――芸術作品を、人はどうやれば理解できるのですか? その場で理解しようとがんばる必要はありません。作品を見るだけです。 |
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――「ただ見れば良い」とはよく聞きますが、見ただけで何がわかるのですか? 類は友を呼びます。見た人の内に作品や作者と同類の何かがあれば、引き合います。なければ反発し合います。見たとたんに、自分が作品の友か敵かがわかります。目に映っているものではなく、起きた気分に注意を払うのです。 |
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――引き合わないし、反発もない、どっちでもない作品は、どう受け取ればいいのですか? その作品は、何も語っていないのかも知れません。語るべき何かが、元から備わっていない可能性もあります。当然というか、実際の作品はそれが最大多数を占めます。 |
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――人は皆、自分のお気に入り作品を傑作とみなし、歴史に残ると勝手に信じていませんか? 人生は自分が主人なので、そこに罪はありません。それよりも、最良の作品と最悪の作品のどちらが歴史に残るかは、すぐにはわからないという原理が重要です。 |
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――たとえ原理まではわかっても、別の視点というのがなかなか持てないのですが? 「優秀作品」だとか「最高の逸品」という言い方は「for me」であって、作品同士の価値は相対的です。物に絶対的な価値が備わると思うのは、致命的な誤解です。一国の巨匠が他国に通用せず、三流止まりな場合があります。というより、実際に多いわけで。音楽と違って、美術は世界共通言語ではないのかも知れません。 |
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――わからない美術を支持する人は、ミエ張りで無理しているというのは、本当にそうなのですか? 誤解です。現代美術がわからない人はわからないと言うし、支持するふりもやりません。「皆もきっと同じだろう」と、大船に乗って安心だからです。わからない作品を持ち上げてみせる演技は、実際には見聞きしません。支持作品は、その人が理解可能な範囲にとどまり、背伸びは無理。誰がどこまでわかっているかは、周囲に隠せないものなのです。 |
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――作品がわからない人は、決まって悪い方へ悪い方へと解釈して、けんめいに作品を悪く言いますよね? 不明の非は作品の方にあるとの態度は、実際によく見聞きします。納豆が食べられない人が、納豆をけなし始めるのと似ているかも。イソップ物語の『鹿とぶどう』。自分と異なる世界を認めるのは、そう心がけながら生きていても、非常に難しいということです。 |
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――展覧会の鑑賞の仕方には、多くの人に間違いがあるそうですが? 作品を一点ずつていねいに見たのでは、たいていうまく鑑賞できません。充実感もなく終わります。 |
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――順路に従って歩いてまんべんなく見れば、美術の勉強になると思いますが? それだと、年月をかけた細かい手仕事に感心したり、偉人伝説の一節にとらわれるなど、枝葉末節に目が向かって、作品一個の本性はかえって見えません。第一「美術館疲れ」が起きて、順路半ばで集中力が失われ、後半がルーズになります。 |
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――それなら、どうやって展覧会を見ればいいのですか? 見るスピードを超高速にします。早送りで会場をさっさと一巡してから、気になった作品に戻ります。全部に均等に時間を当てるのではなく、めぼしいものを先に選別して、あり余った時間をそこにまとめて投入します。これは、コツとしてけっこう出回っていると思うのですが。 |
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――よく思うのですが、作品が生まれた理由が曲解されるようなことはありませんか? 「どうやって、こんな絵になったのですか」と画家から聞かれることは、私もあります。私の場合は、絵筆の細さが関係します。細い原因は、不要品の絵筆が安く手に入ったから。手に入った筆が一回り太ければ、別の絵になったでしょう。 |
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――画風やタッチとは別に、モチーフとか原案はどうやって決まるのですか? 単純に次々とわいてきます。私の場合、案がわきすぎて、あり余っています。制作が間に合わず、鉛筆の走りがきスケッチがデッドストックになり捨てられています。絵画として実現したものは一部だけ、つまり極度の時間不足です。 |
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――アイデアが浮かぶとか、わいてくること自体を不思議がる人もいますが? 何も見ないとわいてきます。何かを見ていると、何もわいてきません。メカニズムに確証はありませんが、おそらく気を取られる対象物があるかないかで、脳の使い方が変わるのだと思います。発想や着想というものは、大部分は偶然が決めているのが実態で、特別な発想法や思考術があるという憶測は誤解です。 |
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――「芸術は模倣から生まれる」という格言は、さすがに誤解ではなく理解ですよね? 誤解です。「オリジナル主義の美術家にも、模写を行った頃がある」という事実を、因果関係へこじつけた一種の都市伝説です。 |
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――みんなに当てはまるのだから、疑う余地もないと思ってきましたが? あんな論理飛躍が許されるなら、「偉大な大統領も、子ども時代に盗みをやったことがある」という実態を、「偉大な大統領はドロボウから生まれる」と結論できてしまいます。「大統領になりたければ、ドロボウをやるべし」と。この格言は人生のロマンを高めはしますが、そんな順序はあるわけないでしょう。全員がぴたり当てはまっても、因果関係がない事象は多いのです。 |
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――芸術と模倣に関して、都市伝説が生まれた原因は何でしょうね? 模倣作品よりもオリジナル作品の方が、数が少ないことが背景にあるのでしょう。 |
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――芸術は年季を積むことで、やっと実現すると信じている向きも多いようですが? 年季や修行は、実際にはマイナス方向に作用します。プラス作用は、対抗するカウンター行動の方です。ただ、その誤解は無理もないもので、美術家は若い間は無名で過ごし、後年の回顧展で認知されて、すでに高齢や没後だったりすることが多いのも誤解の原因です。 |
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――制作年と年齢が合っていないという? 若い時の作品と、高齢時の姿が並んで紹介されるので、あの作品はあのおじいちゃんが作ったのだと、印象が結びつけられてしまうわけです。実際には、青二才と呼ばれる若造の頃に作っています。 |
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――芸術の評価が時間変化していく話をよく聞きますが、何かが腑に落ちないのですが? 「ゴッホは当時全く評価されていなかった」というところまでは、誰だって容易にわかります。ところが、現代に何一つ応用できないグレーな部分が常に残ります。 |
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――現代に応用できないグレーとは、どういうことですか? ゴッホに該当するのは現代人の誰なのか、そしてゴッホに圧勝した末に歴史に消えた面々とは、今のどの面々がそれなのか、などです。私たちはその答を知らない以前に、歴史がその答の選択に向かって激動していること自体を、把握どころか念頭に置くこともできません。今の価値は固定的に永続し、今後はどんでんがえしが起きないつもりで、私たちは毎日を生きているのです。 |
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――美術家は詳しいデータを持っているので、そんな将来を何とか予想できませんか? 当の美術家は、前もって未来の正解に見当がついても、それを言えない立場にいます。もし自分が売れていれば、ゴッホに逆転されて退けられたあだ花の側に自分がいることになり、あまりに不吉で話題に出すわけがありません。逆に自分が売れていなければ、負け組のひがみだと受け取られるので、みじめすぎて話題を切り出せません。境遇がどちらであっても、言えない話なのです。 |
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