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電子美術館のQ&A

37 新しいことは芸術なのか

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2010/4/19

――「新しいことが芸術なのだ」とはよく聞きますが、これは本当ですか?

うそです。「独自なことが芸術なのだ」が正しい言い方です。「新しいこと・・・」と言ってしまうと、話がそれやすく、誤解もまねきます。

――でも日本語の「斬新」というのは、美術の現代性を証明する大切な用語になっていますが?

一番大切な語は、オリジナリティー、独自色です。

――オリジナリティーと新しさは、関係があるような気もしますが?

確かに、人はオリジナリティーに接すると、新しい感覚を受ける場合があります。新鮮味というようなフィーリングも、そのひとつです。

――それなら結局、新しさイコール芸術だと結論していいのではありませんか?

新しさと芸術性に、相関関係はありません。しかも「新しいこと」が正味何を意味するかは、意外に整理されていません。フリーサイズで使われる、あいまい語なのです。例えば、音楽の新譜、ニューシングルに相当する程度の意味でも使われ、それなら美術作品の100パーセントが一時的に該当します。そして、時間がたてば全部が外れます。

――普通、「新しいことをやりました」と聞けば、一種の新発明だと思ってしまいますが?

世界初の食べられる材料で作った彫刻だとか、作品を電気モーターで動かした、人が通ると音が鳴る、時間帯によって作品が取り替わる、搬入の段階から見てもらう趣向、触ると手が汚れるぬれた土、作品を海底に沈めて1年後に引き上げる、今度は火口湖に沈めて二度目の世界初ゲット。・・・などの次元で、斬新な美術が流行しました。

――例によって、「既成の概念を超える」という、あの喧騒ですね?

喧騒はいいのですが、「新しい何か」を作品に盛り込む意味を、大勢が「形式的」な面でとらえて、一番乗りの早い者勝ち競争を始めたのです。アイデア先取りコンテストです。

――駄ジャレのような作品も、過去にいっぱい見た覚えがありますが?

買ったままの白いキャンバスをずらりと並べて「一人一人の心に浮かんだ絵を鑑賞してください」とか、キャンバスの布をビリビリと引き裂いて「絵画の破壊」。空っぽの展示室を見せて、「人生には作るよりも大事なことがあるので、あえて何も作りません」といった調子。要するに、とんちです。

――そうしたアイデア競争は、即物的で万人にわかりやすそうですが?

特に作る側にとって、わかりやすかったようです。

――アイデアとオリジナリティーの混同は、なぜたくさんの美術家に起きたのですか?

オリジナリティーよりも、アイデアの方が出しやすいから、というのもあったでしょう。難易度もありますが、実現の安定性が根底にあったと思います。

――そうした新発明アイデアを、芸術の創造と考えないのはどうしてですか?

特許と同じで、時間がたてば無効になるからです。歴史的芸術作品の最大の特徴は、国際性とともに永遠性です。特定の時代と風土にはまり込まず、だから時代や風土と心中せずに生き延びています。制作当時のホットな話題性で支えられるのではなく、作風の濃さと異色ぶりで時を超えるのが名作たちの実態です。

――確かに、新しいものはいずれ古くなるのに、絶対視されるのは不思議ですね?

逆にいえば、それが視界の及ぶ全てだったのでしょう。

――印象派の新しさなんて、視点を変えればずいぶん古くさいというか?

やはり同じことで、印象派を平均した画風が持つオリジナリティーではなく、作者固有のオリジナリティーで時の審判に勝訴しているわけです。印象派ふうであることがニューアートたる唯一取りえの作品は、時がたてばオールドアートとなって周辺へ外れて消えます。

――オリジナリティーとは、簡単に言えばどういうことですか?

単純に、古今東西の他の作品に似ていない意味で十分です。異なる部分が目立つから、歴史の中に席が設けられるわけです。

――でも目立つのだから、衆目には新奇だの突飛だのと受け取られますよね?

だから、ごっちゃになって揺れるのでしょう。音楽でいえば、ジョン・ウィリアムスの新しさと、ジョン・ケージの新しさは、区別されます。ところが美術だと、未分化でいっしょくた。

――スターウォーズのサントラの、ジョン・ウィリアムスですか?

ウィリアムスの『インディアナジョーンズ』『ET』は、新しいオリジナリティー創造を聴かせる曲です。ケージの『ノイズ』『無音』は、新しいアイデア発明を聴かせる曲です。美術で新鮮さ、斬新さの語を言う時、その二つの次元がゴチャゴチャで区別されずに、大ざっぱな論が繰り返されています。

――斬新求むと言いながら、どっちの話なのかがモヤモヤしたり、ブレるケースですね?

新しい美術よ出て来いと言う時、オリジナルを期待しているのか、単に当世風アイデアを期待しているのか、言う側もルーズだったりします。なぜそこが大事かというと、二つはけっこう排他的で、意外に一人が両方ともは許せないからです。

――「美術は新しくなりすぎて、急進的でついていけない」という批判も聞きますが?

その手の保守派から出る苦情も、次元を混同した例です。苦情の相手が、ピカソの『ゲルニカ』なのか、古タイヤを積み上げた作品なのか・・・。オリジナルの珍奇性と、アイデアの新奇性の、どちらに迷惑なのかが分別されずに、ただ「迷惑だー」。どっちだっていっしょでは、乱暴すぎ。

――「新しい美術」という語は、共通認識さえ固まっていなかったわけですね?

新しいというだけでは、何の話かわからないということです。「斬新」の日本語も、「ヌーヴェル」と「オリジナル」の二股かかっています。新しもの好きと意気投合しても、最後にすれ違う可能性があって。斬新な美術を推す者が現れ、それではと『ゲルニカ』的な線で考えていたら、『古タイヤの積み上げ』に入れ込む人だったなど、肩すかしも起きます。「そっちの斬新だったのか」と。

――その手の未整理な論は、美術以外でもありますよね?

まあ似た話でもないのですが、雑な一例で、日本国憲法を変える、変えないを問うアンケートを連想します。軍事行動を増やす意思も減らす意思も、ともに「変更する」だからイエス回答です。イエスを数えて何を知りたいのか、意味不明の調査でしょう。焦点の整理や分別が苦手な部分を、人間はつくってしまうようです。まあ、かなり違う話ですが。

――それでも、「新しいことが芸術」というフレーズ自体は、半分のケースは的中している気がしますが?

残り半分が違えば、的中率の期待値は差し引きゼロで、指標になりません。古タイヤをギャラリーに置いて創造とする身には、『ゲルニカ』は古来のキャンバスに、古来の筆で古来の顔料を塗ったにすぎない、超保守的、超後向き、超時代遅れの非創造作品となるわけで。これからの時代は、積み上げた古タイヤが新しいのだ、と。道を走るタイヤのように、時代に遅れないよう進歩についていくべし、と。

――新しさをもって、芸術の何も具体的に論じられないという結論になりますか?

新しさ、新鮮、斬新、新奇、奇抜、突飛、サプライズ、トンデモ・・・など、どの類語に作品が該当しても、しなくても、創造であるかないかには関係しません。新しいという語と、芸術性には相関関係がないのです。正比例も反比例もないのだから、「じゃあ反対に古い方が芸術なんだ」ともなりません。保守派と革新派の両方が、新しさの語に振り回されています。これは新しさの程度の問題ではなく、次元の問題です。

――それなら、芸術創造であるかないかを言うのに、どの語を使えばいいのですか?

一番大切な語は、オリジナリティー、独自色です。

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