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電子美術館のQ&A

40 犯行の動機、美術制作の動機

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2010/6/19

――色々な絵を見ていると、なぜこんな絵ができたのかと、疑問に思う時がありますが?

絵画がその形に生まれた理由や、その形にまとまるに至った真の理由は、永久にわからないでしょう。

――描いた本人は自分のことなのだから、詳しく語れてもいいはずですが?

例えば犯罪の動機で考えると、犯人が語れる犯行動機にはやっぱり限界があります。美術家が振り返って語る制作動機にも、似た限界があるのです。

――犯行動機はなおさら、犯人しか知り得ない絶対に確実な真実だと思いますが?

事件に至る心理の変化は、むろん当人が一番よく知っているはずです。なのに、なぜか動機の部分が明らかにならないことが多いのです。現実に、犯人が動機をうまく語れずにいる事件が多くあります。

――語れないのは、自己弁護しようと隠したり黙っているからではないのですか?

それも多いでしょう。あの時の珍妙すぎる思いつきを今さら言い出せないとか。ひどい短絡行動を思い返すだけで、気持ちが崩れそうだとか。冷静になってみれば愚かすぎて、世間の反響が怖いとか。しかし実直に自分を問いつめた時も、うまく言えず、答に行き当たらないことがあるのです。「自分は、なぜあんなことをしたのか?」と、いつまでも自問することになります。

――動機なき犯行という意味ですか?

行動の動機をいくら思い返しても特定できないのは、日常的に誰でもあるでしょう。人の行動は、心の均衡のわずかな破れが原因で、それて転んでいくものです。破れ方が小さいと自己分析できません。すると、自分のことを憶測で語るようになります。「なぜ、事件を起こした?」「なぜ、そこでそうした?」「なぜ、そういう気に?」「なぜ、その相手を?」と問い続け、ついに本人もわからなくなって・・・

――犯行とは、そういうものなのですかねえ?

ゆうべの晩ご飯のおかずは、なぜそれを選んだのか、それ以外を選ばなかった理由を問われても、わからない場合がほとんどです。事実はあっても、動機が見当たらない・・・。選んだ事実のみ、ポツンと残ります。

――でも犯罪ともなれば、昨晩のおかずよりも、はるかに強い動機がありそうですが?

その分より詳細を求められるから、結局難易度は同じです。被害者側が判決後に、「犯行動機が語られておらず不満です」とよく感想を言います。逆に「動機が詳しく語られて満足した」は聞きません。一例は音楽のジョン・レノン殺害のケースで、犯人は心の奥底まで現に供述済みなのに、ファンは動機は語られていないと言い続けています。

――それは、黙秘したケースとは別なのですね?

すっかりしゃべっているのに、動機のみスッキリせず不明瞭な事件はよくあります。もしかすると、私たちが望むかたちの動機は架空なのかも。ないものねだりかも知れないのです。

――絵をかいた時にも、同じように動機のない制作があるのですか?

絵をこのようにかいた動機を「なぜ?」と問い詰めても、まず出てきません。

――そこは巨匠ともなれば、さすがに綿密に絵を組み立てていると思いますが?

それは、よくある誤解です。ひとつの証拠は、ピカソ語録に出ています。「赤を使おうとした時、赤の絵の具がないなら青を塗る」というような発言が残されています。

――それは、道具に入れ込まない態度を、極論的に例えただけではありませんか?

絵の具のブランドや筆やパレットにこる画家とか、「この画家にしか出せない色!」式の俗な視点と対照させて心構えを言ったようには思えません。あれは、ピカソが偶然のハプニング込みで制作していることを、種明かししています。

――偶然を頼ったり、利用しているのですか?

「画家は全てをわかってやっている」とか「隅々までコントロールしている」的な解釈は買いかぶりで、実際には事件を呼び込んでやっと創造に届かせる危ない橋を渡るものです。作品を計画的に支配できないからこそ、創造の余地自体をつくり出せるという、当たり前のヒントが出されたのです。

――芸術家はきっと精度よくやっているだろうという先入観が、私たちにあるんですよね?

私たちは芸術の語に、時計やカメラのように、正確で精密なイメージをいだきがちです。常に確実に依頼を遂行する、スゴ腕のプロフェショナル。人間ではない、マシーンのモンスター・・・。しかしそれは、芸術とは逆位置の技術的カテゴリーです。芸術性の源泉は、ルーズでアバウトな気まぐれ部分にあります。早い話、アドリブ部分がない絵に芸術性は宿りません。計画どおりに仕上がり、プラスアルファがないから、謎のアクも残らないという。画家が思うことは狭いから、思うとおりに出来上がったら、狭い作品にとどまります。

――作品の隅々まで知り尽くした芸術家、という偉いイメージで見ますけどねえ?

あえて芸術家と称するのだから、落とせないのはオリジナリティーです。他人からできるだけ離れる意識。制作途中で他人の作品に似たら作り変え、やり直します。著作権だけでなく、類似品として連想されるのを嫌うわけで。名札を付けて通用する作品は、芸術家なら返上。ここだけはルーズでアバウトなら失格でしょう。こうして形や色の独自性を大事にしたとしても、細部がどう転んでいくかはぶっつけ本番です。

――ピカソの絵の赤い部分は、熱い気持ちの表れとは違うわけですか?

赤塗りを見た鑑賞者が燃える心や魂を感じるのは勝手ですが、作者の思いが熱かったというのはつくり話です。例えば私のキャンバス絵画に、特定の色だけを使ったものが時々ありますが、古くて硬化し始めた絵の具を使い切ろうとした場合があります。

――ゆうべのカレーが余ったから、今日は一日カレーという感じですね?

余りもので料理が作られるのと同様に、美術も余りものの活用はよくあります。これといった制作動機がなくても作品はできるし、結果の内容は動機と関係ありません。思いが強いほど、内容の濃い深い作品になる法則すらないのです。この点でどうも世界中には、見る人が精神主義的に走って解釈しやすいところがあります。

――それなら、歴史名作を分析しても意味がないわけですか?

分析は大まかなほど意味が出ます。例えばゴッホは自分の未来に希望を持つうちは、沈んだ暗い色を使い、絶望が深まるにつれて、明るく輝く原色へシフトしています。そのターニングポイントの時期やできごとを探って、関連性を推理する程度なら有意義かも知れません。

――もっと細かい期間に区切れば、境遇変化と作風変化を関連づけられませんか?

芸術家とは、自分に革命を起こし、平穏無事な流れを崩せる希有な人物だと定義できます。なので、心境の変化と絵の変化は合っていません。晴れ晴れした気持ちの期間に、晴れ晴れした絵ができるかはわからず、比例関係を想定すると間違います。

――芸術家の伝記が、生活と作風を分けた書き方なのは、そのせいですか?

スポーツと似ているかも知れません。あの時なぜ金メダルがとれたのか、とれなかった前回や次回とは何が違ったのか、選手本人も分析し切れないものです。結果だけが、ポツンと浮いているのです。

――五輪メダリストの言説を読むと、「終わって順位を見たら1位だった」とそっけなかったりしますね?

集中して一気に飛躍し、神がかったパフォーマンスでリザルトがついてきたという、アスリートの奇跡に似た現象が、実は美術の歴史名作でも起きています。逆に長い時間をかけて、ていねいに仕上げた仕事というのは、「気」がゆるんで平準化し意外に淘汰が早いのです。工芸の域に達した絵画が歴史に埋もれやすいのは、それもあるかも。

――作品から動機が読み取れないのなら、何かほかに読み取れるものはありませんか?

作品から読み取れるもの。作者が何を欲しいか。何になりたいか。何を恐れているか。こうした自分探しは、ちゃんと作品に出ています。一般的にいえば、現代画家はゴッホになりたくないと思っています。ゴッホを恐れ距離を置く気持ちが、作品に出ています。

――そりゃ誰だって、売れずに殺人未遂事件を起こして早死になんて、いやですからね?

過去の日本の近代具象画家の中には、ゴッホ的に突っ込んで行く者もいました。今はその空気はありません。むしろゴッホをしりぞけた側を目指すのに、さして抵抗もないという。よりイージーで覚悟の軽い作風が、美術家の設定目標になっている傾向は作品に出ています。

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