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電子美術館のQ&A

47 モディリアニとトレードマーク美術

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2010/11/10

――モディリアニの彫刻が、オークションでかなりの高値をつけましたが?

モディリアニ(1884〜1920)は、元々彫刻家志望だったのですが、あの会心のアフリカ民族ふう彫刻は、日本人は苦手かも知れません。ただし彼の絵画の方は、日本人の好きなひとつになっています。

――どういうところが、日本的な感性に合うのですか?

個性がひかえめで、画圧の押しが弱い点が考えられます。あまりたくましくなくて、がめつくない引いた態度が、日本人の趣味に合いそうです。

――でも「守りの絵」というほどまでは、後向きでもないと思いますが?

メランコリックな香りはあっても、めそめそした湿っぽさはそれほどなく、ドライな画風です。ラテン系の異国情緒をしっかり持っている上で、そこそこの、ほどよい中庸というか。

――モディリアニの絵は特徴がありますよね?

まず、当時のサロンの流行どおりに、人物の黒目と白目がはっきりかき分けられていません。そのため、目力(めぢから)が弱くなっています。鑑賞者をにらみ返したりしない穏和な顔つき。そしてもちろん長い首。

――本当に、一目見てわかるほどの特徴を感じますが?

実はその特徴が、制作の裏目に出た面もあるのです。絵の取りえが、目と首に集中していて、それ以外の特徴がこれといってないので、人物画でないと通用しません。静物や風景や架空の動物をかいたのでは、自分らしさが出ないのです。

――言われてみれば、作品のほとんどが女性を前からかいたポートレイトですよね?

男の背中に哀愁をただよわせる・・・なんていう表現は困難です。個性が全体に及び、どんなモチーフにも対応できる、オールラウンドな美術ではありません。逆に、ピンポイントなアイデアを専売特許にした、いうなればトレードマーク型の美術です。

――トレードマーク美術の画家は、他にもいるのですか?

モディリアニとは反対に目力を強くしたキスリングが典型で、ほかに人体を針金のように細く描いた画家や、逆に丸々と太く描いた画家などもいました。人以外の物や動物は普通に描いてあります。こういった「部分誇張」の手法は、実は今日のデザイン界では常道になっています。

――トレードマーク美術は、美術畑には少ないのですか?

エコール・ド・パリと呼ばれる一群の画家には、トレードマーク美術が多い気がしますが、実はそうでもありません。ルソーやユトリロは違うし、シャガールも画風全体に持ち前のアイデンティティーがあって、静物や風景だろうがおとぎ話だろうが、オールラウンドに描いています。

――トレードマーク美術は、作る時の制約にならないのですか?

間違いなく制約です。シャガールがどこで切っても、何をやってもシャガールなのに対し、モディリアニ方式の部分誇張は、やることが狭く限定されます。繰り返しですが、「海辺の風景をモチーフにして」という場合に、うまく応じられません。

――トレードマークがじゃまになることさえ、時にはあったのかも知れませんね?

モディリアニの短い生涯が、そのことと関係がないか、前から気にはなっています。もし長生きしていたらどうなったのかと、素朴な疑問を持ったことがあります。

――視線のない首の長いポートレイトだけを、描き続けたのでしょうか?

あの画風はおよそ3年間に集中しますが、歳月たってだんだん細かくなるか、だんだん荒くなるか。いつかは飽きてしまって、あるいは別のトレードマークを新作するか。レパートリー開発で行き詰まる結末も、可能性としてはありました。

――もし全く違う作品へとチェンジしていたら、どうなったのでしょうか?

画風のチェンジは、立体派のブラックやシュールレアリスムのキリコの絵で、実際に起きています。チェンジ後は個性がもうひとつ出ずにありふれた作品となって、結果的に一貫性が消えて、好評と不評の時代に分かれています。後の作品は、名前が支えるワケあり作となっているようです。

――オールラウンド美術よりも、トレードマーク美術が少ないのはなぜですか?

トレードマーク美術が生まれる背景として、20世紀の抽象勃発以降に起きた、作風と手法の枯渇が考えられます。構成やタッチではもう差異化が難しくなって、部分誇張でやっと差異化にこぎつけたような、苦肉の策という一面です。オールラウンド美術のポスト(後がま)として、トレードマーク美術が台頭している流れがあるのです。

――美術以外の他の分野でも、トレードマーク型はあるのですか?

音楽の作曲では聞きませんが、演奏にはこういうのがあります。ブルースギタリストが、ほとんどワンパターンのオブリガート(伴奏による合いの手)に徹したケースです。どの曲を歌ってもそればっかりなので、「ああ、あの人だ」とすぐにわかります。ファンは限られていますが。

――漫才なんかにも、一発芸がありますよね?

ひとつのギャグだけで何十年も引っ張った漫才や漫談もあります。しかし落語は、オールラウンド型が圧倒的に多いでしょう。人情ものが得意でそればかりの噺家もいますが、それでも切り口は多くあって、一発ギャグで立っている噺家はいません。

――オールラウンドとトレードマークの、両方を持つ美術家もいるのですか?

類型として一番多いのかも知れません。例えばスペイン三大画家をみれば、ピカソは「個性画風と断層顔」、ミロは「個性画風と×印」、ダリは「個性画風と時計」といった感じで、オールラウンド性とトレードマーク性を両方持った作品があります。

――駆け出し画家は皆、自分らしい作風や特徴を出そうと、あれこれ悩みますよね?

行き詰まった時の回答はモディリアニが示していて、誇張した人物画がひとつの近道です。デザイン分野では、略画の多作が必要なので、とりあえず人物キャラの誇張が主流になっているのでしょう。

――逆にオールラウンド型を目指すと、画業は遠道になるのですか?

そう言われると、そうかも知れません。画面の片隅の一部分を見るなり、「ああ、あの人だ」と瞬時にわかる画風の確立は、学校の授業で「やってみろ」と言われても、まず無理でしょう。トレードマーク型ならば、もう少し早く何とかなります。

――トレードマークというのは、要は具象のデフォルメのことなんですよね?

そうとも限らないようです。具象絵画の場合は身体部位の誇張に集中しますが、抽象絵画では決まった形を必ず入れるマーキング作法だったりします。

――モディリアニの絵から、どういうメッセージが受け取れますか?

「美術は自由奔放、好き勝手に変形し放題さ」ということです。よくモディリアニの解説で、「世界は画家の目にこう映った」と書かれますが、そんなわけはありません。普通の長さに見える首と顔を、他人と違う絵にしようと考えた彼は、誇張して長めに伸ばして描いただけです。

――「画家が見たものは果たして何だったのか」とか言って、よく話題が引っ張られていますよね?

画家は見たままを写し取る人間カメラだという、よくある思い込みに合わせようとするから、彼が首が伸びて見える感覚異常を起こした、病的な人間であったかに聞こえる解説に陥るのです。実際のモディリアニは、見たものを参考にしながら別のものを作っただけの話です。彼は独自色を出そうとして、故意に首を伸ばしたのです。

――でも、見たものを変えてしまう自由を許せば、何かまずいことが起きませんか?

まずい方に向かって走らないと、創造は始まりません。例えば教育界で、「生徒の創造力を育もう」と唱えるなら、授業にも反映させなくてはいけません。中学の美術科目で、人の顔を部分誇張して描く授業があってもいいはず。何かに似せてかく指導の中で、逆に見たものに似ないために何ができるか、そういう指導も加えていいと考えます。

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