| 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ | |
48 芸能人の絵は正しく批評されているか |
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2010/11/23 |
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――不況の中、テレビでおなじみの芸能人の絵だけは、順調に売れているそうですね? 芸能タレントがかいた絵画が高く売れる現象について、ちょっと長めの論評を見ました。 |
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――どういう内容だったのですか? 美術が名前で買われる風潮への疑問です。同じ作品でも、無名画家なら値がつかずに1枚も売れないであろうが、芸能タレント名を冠すれば一転して高額で完売するのだと。この消費行動の軽さにも、チクリと言及していました。 |
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――現実の絵の売れ行きは、本当にそうなるものなのですか? 日本では、もちろんそうなります。 |
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――その論評を書いた著者は、芸術というものをわかっている人なのですね? それが違うのです。「自分は芸術が全然わからないのだけど」と、断っていました。ゴッホが優れている理由もわからないと、告白しています。 |
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――芸術が全然わからないのなら、なぜそんな話題をしかけたのでしょうか? 「わからないけれども、名前買いの行動心理は読み取れた」ということでしょう。もし自分が今から絵をかけば、他人の目に芸能タレントの絵と区別がつくのかと、疑いも投げかけていました。 |
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――どこか微妙というか、きわどい話ですよね? その論評は、日本国民の多くの実感に合うでしょう。名前で物事の評価が全く違ってくるのは、国内マジョリティーの現実です。世の中、最初はやっぱり名前で始まり、最後はやっぱり名前で締めくくるという実感は、普通のおじさん、おばさんだって日常茶飯でしょう。 |
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――でも、その論評の説得力には、何かが足りない気がしますが? 芸術を理解していない点が足りません。せっかくいいことを言っても、主張が全部パーに流れるかも知れません。 |
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――日本人の最大多数がうなずく話を書きながら、それでも無効ですか? 世俗的な人心に乗るのが仕事である芸能タレントに対し、その要領の良さをやっかんでいると受け取るスキがあります。タレントのファンたちは反発するでしょう。「芸術の本質をわからず、ゴッホもわからない人に言われたくない・・・」と。 |
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――そこを逆襲されると、やっぱり分が悪いのでしょうね? 不思議なのは、その著者は芸術とは何かを、なぜ前もって調べないのかです。ネットで調べるだけでも、浸透力が増すでしょう。論評を書く時間よりも、芸術の本質が何なのかを調べる時間の方が短いかも知れないのに。 |
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――じゃあ、芸術の本質とは何なのですか? オリジナリティーです。 |
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――そうでしたよね? その先は、けっこう闘いになってきます。 |
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――なぜ、そこから闘うのですか? 自分の中で分裂が起きるからです。芸術とは何なのかを全然知らないつもりの人でも、本当は全然知らないわけではありません。 |
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――じゃあ、一応は知っているのですか? 先入観というものがあります。ゴッホを全然わからない人は、先入観と実物のゴッホ絵画とのズレを解消できずにいる、判断停止状態と考えられるのです。 |
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――その場合の先入観というのは、具体的には何ですか? たいていは写実の精度です。写真と見分けがつかない、きちんと正確な具象デッサンを指して、芸術の本質だと思う自分がいるはず。芸術と写真術が、写実という単語で交差し、ごっちゃになるパターン。 |
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――それは、芸術の話題につきものですね? 「写真リアリズムこそが芸術なり」に反するのがゴッホです。ゴッホの絵は、美術好きたちの常識と期待を完全に裏切った点で、高く評価されているのです。ゴッホをわからない理由の大半は、この見込み違いです。 |
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――確かに、全くの白紙状態で美術を見る人なんて、文明国には一人もいないでしょうね? 本当は白紙ではなく、前もって強く激しい、ガンコな予断を持っています。予断に合わない歴史名作を前にして、「芸術とは何か」のすれ違いが潜伏するのです。この割り切れない気分や混乱を、「芸術がわからない」と言うわけです。何一つ知らない状態とは違います。 |
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――そこの部分ですが、「本当はわかりたくない」ってことはありませんか? そこは、さらに微妙です。世界美術史は、「芸術はオリジナリティーです」と結論を出して、その線でコレクションを拡大し続けています。「芸術とは何ぞや」の疑問は、とっくに終わった話。なのに際限なく蒸し返されるのは、大勢がこの結論を受け入れるのがイヤだからではと、うがった見方もできます。 |
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――シンプルな結論を即刻はらいのける、その気持ちはどこから来るのでしょうね? 先入観とはそういうものですが、しかし何を見聞きしても目からウロコが落ちずに、元の先入観へ自動的に舞い戻るのは不思議です。「普通の人ぐらいガンコなものはない」という、文芸家のつぶやきを思い起こします。 |
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――子どもたちに何を教えてきたのかという、教育問題も出てきそうですか? 絵画と写真がごっちゃになる先入観は、教育上のミスによる植え付けで生じたのではなく、もっと原初的なところに発するのかも。つまり誰も悪くない説。 |
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――その原初とは、何が考えられますか? 単純に、目のはたらきではないかと。ゲシュタルト心理学の中で、メインは視覚です。視覚心理や錯覚。人が外から得る情報量の、9割は視覚だそうで。 |
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――目は働き者だという事実と、写実至上のガンコな先入観が、どうつながるのですか? 崩れた絵を非常にまずいと感じるのは、当然、大脳のどこかですが、思ったよりは古い部位かも知れません。動物の本能のレベル。目に映る事物が変形していたら畏怖が生じるのは、実は他のほ乳類もヒトも、同じではないかと。 |
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――他人のオリジナル主張は自我と衝突するという、あの人間的な反発感情もありますよね? 変形絵画を嫌う要因として常にあります。くだんの論評でも、もし自分が同じ手間をかけて絵をかけば、芸能タレントに劣らないかもと。自分は負けていないという気概。 |
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――話が脳の機能に入りましたが、美術のネーム効果自体は確かにありますよね? 美術を世に残すにも、名前が必要です。読み人知らずの俳句や、作者不明の民謡は今も通用しますが、描き人知らずの絵はもう通用しません。誰なのかが生命。美術の勝負は中味ではなく、名前獲得レースへと完全に移っています。それが好ましいわけはないのですが、厳然とある慣習です。名前抜きで絵を見て平気なのは、子どもたちだけです。 |
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――美術がそうであることと、芸能タレントの優位性は、どう結びつくのですか? どうやって絵の自己ブランドを確立するかの問題です。画家一筋の人は絵でそれをやろうとするから、論理矛盾にぶつかります。まず絵で有名になって、すると有名であるがゆえに絵が優れて見えるようになるという、ニワトリと卵の矛盾にぶつかるのです。 |
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――プロレベルでも、そうなのですか? 絵を火種にのしあがることは、日本ではできない相談です。絵を名刺代わりにギャラリーを借りようにも、名のある紹介者(後見人)の名刺を求めてくるのが常です。そもそも、バックグラウンド(要は知名度)を持つ人を優先しますと、わざわざ明言しています。ギャラリーのプロたちにすれば、無名画家が作り直して再び持ち込んできても困るわけです。ギャラリーが欲しいのは、作風の違いじゃないから・・・ |
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――それで日本の有名画家には、小説やエッセーで名をあげた人がやたらと多いわけですか? 美術は能力主義から特別に遠い分野だとは、たいていの人は勘づいているでしょう。冠ネームの効き目が大きいとされるアパレルファッションブランドも、参議院選挙も、ここまでじゃない。二足のわらじをはいた人の絵に限って、なぜかポンポンと高値で買い手がつく不思議を、本気で首をかしげて「なぜだろう」「どうしてそうなるのだろう」「見当もつかない」と不思議がる人は少ないはず。 |
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――音楽家がかいた絵が売れると、「天は二物を与えた」とたたえる声も出ますが? 逆順だとどうでしょう。順序をさかさまにして、画家として有名になった後で、音楽家としても大成した人は誰かいるのか、という疑問。つまりその二物は、「音楽の後の美術」でないとまず成り立っていません。逆順にした「美術の後の音楽」では、天は二物を与えていないという・・・ |
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――それはつまり、音楽と美術でネーム効果の出やすさが違うという意味ですか? 音楽ではネーム効果が弱いので、ブランドネームをちらつかせても、曲の評価はくつがえりません。美術の傾向はその逆で、ブランドネームでひっくり返せます。だから例えば有名政治家は、音楽に転身するよりも、美術に転身した方が通用しやすいわけです。 |
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――それって、あの首相のことですよね? そうです。ロシアの元大統領で現首相のプーチン氏のスケッチ画が、1億円で売れていた報がありました。これはピカソのスケッチ画よりも高いのです。 |
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――結局、例の論評は、暗黙に知られていることを重ねて問いかけているのですね? 私が関心を持つのは、「芸能タレントがもし本物の芸術作品を作った場合、それでも他人は買うのか」という、根本部分です。有名人が、途中から現代のゴッホになって創造を始めたとすれば、いったい何が起きるのか・・・ |
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――実は、逆に売れないのかも知れませんね? まずい話になって、タレント活動にも支障が出るでしょう。現代の創造は抽象系なので、それだけでも異常な人物イメージが恐がられ、ファンの心が離れる危険も十分あります。近寄りがたい、親しめない、難しい、メンドクサイ人・・・。そうなる前に、マネージャーがストップをかけて、日本で常識的な絵、せめて具象画に戻させるかも知れません。 |
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――芸能タレントが本当にゴッホに化けたとなれば、今度はどういう論評が出てきそうですか? 「素人目にもクソ絵画とわかる」「へーんなモノ作りやがって」「何を考えているのかさっぱりわからん」「タダでやると言われてもいらねえ」など、もっとひどい悪口を書かれるでしょう。 |
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――でも現実の歌手や俳優の絵は、へたくそなだけだと言われていますが? ゴッホも絵はへただったから、その点では互角です。 |
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――そうは言っても、デッサンの狂った素人芸にしか見えませんよ? その着目点は、さっき言った「ガンコな先入観」そのものです。136年前の第一回印象派展で、モネらが受けた非難もそれと完全に同じ。しかし、その後は時代が変わりました。 |
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――どう変わったのですか? デッサンが正しい玄人芸こそが、非創造、非芸術だというようにです。とどめは、103年前に始まった20世紀抽象美術ということになります。 |
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――ずいぶん古い話ですよね? 物の形を正しく写す競争が終わって、デッサンをどれだけ狂わせるか、おかしな形に歪めて描くかの競争に変わったのは、思ったよりもはるかに昔のことです。私たちは、美術でもガラパゴス状態が長いのです。 |
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