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電子美術館のQ&A

51 モナリザの重厚さは本物か?

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2011/1/1

――『モナリザ』の絵の重厚さには、いつも感激しますが?

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)が絵をかいた時には、その重厚さはありませんでした。可視光線外の周波数まで感光するスキャナー写真と、現代のケミカル・テクノロジーで顔料やニスのエージング分を逆算し、『モナリザ』のルネサンス当時の色がだいたいつかめています。今見る『モナリザ』と、やはり大幅に違っています。

――当時の『モナリザ』は、いったいどんな色だったのですか?

今の色は黄土色っぽいウォーム系ですが、当時はもっと青色が強くてクールです、緑色や赤系も、さえています。あの独特の渋い古色はなく、むしろ現代的な印象さえあります。若々しいコンテンポラリーな絵を、ダ・ヴィンチがかいていたことがわかりました。

――そういう科学の成果って、何だか戸惑いませんか?

戸惑いの大きさは、そのまま誤解の大きさといえます。どんな絵も彫刻もそうですが、創作系の新作は皆ピカピカの新品として作られます。冷静に考えれば、たった今自力でこしらえた新興美術は、未来的でこそあれ、古びたおもむきや伝統の重みを備えているわけはありません。新作に古色があれば、それは後向きの仕事なので長く残りません。

――古典名作を復元した想像図は、確かにどれを見ても古めかしさが全然ありませんね?

そうした経年変化の落差に直面するケースに、曼荼羅(まんだら)があります。曼荼羅とは、仏教の世界観を文章ではなく絵図に表したビジュアルな掛け布。宇宙の図です。

――お寺参りをしても、そんなものはあまり目にしませんが?

主に密教のツールだからです。金剛界(こんごうかい)と胎蔵界(たいぞうかい)の二枚一組のタイプがあって、所蔵する寺で片方が傷んで、片方がきれいな場合があります。汚れたり焼けたりで、片方を新調した場合もあったでしょう。

――作品がくたびれている方が、より古そうに見えるでしょうね?

今日の目には、全体がうっすら傷んだ方が昔っぽく風格あるものに見えます。適度にくたびれていた方が、味わいをたくさん感じて。無傷の方は見るからにチープ。見た目が新しいと、本物が持つ信頼性や伝統の重みが減って、値打ちが低い気がするのです。傷み具合までを芸術性に含めて受け取ってしまうことが、往々にあります。ストーンウォッシュでプレミアムがつく、ジーンズパンツのような感じ。

――古い仏像で、そういうのを感じたことがありますが?

黒ずんで亀裂のある木彫りの仏像は、元は初々しい白木でした。銅製の仏像なら、緑色ではなく新しい十円玉のように輝く赤銅色だった場合も。金張りなら、むらなくギラギラのゴールドカラーが最初。新興のお寺に真新しい金ピカの仏像があると、好景気の金満の御利益ばかり連想するとか。

――そもそも寺の建物の色からして、当時とは違っていませんか?

今では木はすっかり濃く変色し、丹塗りの赤もくすんで、ところどころ苔むしています。しかし、建立当時はスギやヒノキが香る新築物件で、顔料はもっと厚化粧だったはず。

――経年で生じた古色が、古美術ファンの目にもチャームポイントになっていますね?

そのため、当時の姿に復元した想像図は、ファンを幻滅させている可能性があります。油絵の具が普及する前の中世ヨーロッパでは、建物内のしっくい部にテンペラ画がよく描かれました。テンペラ画の多くは、今では淡く色あせ、ポロポロはがれています。そのくすんだ色彩にわびさび的な味わいを見出していたところ、「これが復元図です」と言われて見ると強烈な赤青黄緑で、心がついていけなかったりします。

――建物の内側だけでなく、外側にも絵がかかれていた場合がありますね?

ギリシャのアテネにある『パルテノン神殿』は、その白っぽい外観が清潔感を与えます。ヨーロッパツアー旅行の花形です。ところが当時、その破風(はふ)部を含め、外側の彫刻やレリーフに色が塗られていました。それがまた、現代アートと張り合えそうな濃い色彩でした。

――古代の絵には淡泊なイメージが勝手にできていて、それとのギャップにギョッとしますね?

時代をさらにさかのぼったエジプト美術も、石や木に描かれた絵は派手です。風雅な画家たちの目には、下劣すぎに映っているのかも。

――同じエジプトでも黄金のマスクは、日本の仏像と違って金がボロボロではないようですが?

ツタンカーメン王の遺体をカバーしていた重量級のアートワークは、純金のかたまりです。だから経年変化で下地が出て古色を帯びることはなく、今も輝いています。

――ライトを当てて棺をあけた考古学者たちも、キラキラしてびっくりしたでしょうね?

記録にもそうあります。ところが調査したハワード・カーターは、「一番美しかったのは花だった」と記述・・・。墓内とさらに棺の中にも多数置かれていた花輪と花束に感激し、「若い后が夫に贈ったものであってほしい」という感傷的な思いを、彼は書いています。

――花は枯れて、パリパリに乾いていたと思いますが?

ドライフラワーを見た人は、ある程度は新鮮な花を想像できます。しかし色あせた美術品なら、復元図なしで当時の光景を想像しにくいでしょう。

――時代考証しようにも、古色が目に入れば心理的にまどわされそうですが?

視覚以外にも壁があって、人は自分の時代から離れて物事を考えるのが、元々苦手です。それが日本の人名でよく起きます。高齢女性にツル、カメ、トメの名があると、皆さん疑問を持ちます。当時の親たちは、生まれたばかりの赤ちゃんに、おばあさんの名前をつけたのですか?と。

――それってジョークじゃなくて、本気の疑問としてよく出てきますよね?

現に少し前、生まれた赤ちゃんにルナ、ユナ、ルイの名をつける親をみて、「子の老後も考えて名前をつけなさい」と、プロのエッセイストがお叱りを書いたことがありました。

――子ども向きの名前は、おばあさんになれば合わないから、警告しているのですね?

おかしな警告です。言うまでもなく、親はいつの時代だってコンテンポラリーな名前をつけます。しかし私たちは、時代感覚が経年変化することを、ほとんど想像できないのです。今の感覚が絶対だと信じて、過去へも未来へも理解が及びません。だから、坂本龍馬を現代に連れてくれば、国を救うヒーローになるなどと、間違って思い込むのです。

――ところで『モナリザ』といえば最近、絵の中に暗号が書かれている説が出てきましたが?

眼の部分に、人間の目に見えない、書くこともできない小さな字が記入されていることがスキャナー写真でわかり、ダ・ヴィンチが記入した暗号だという可能性が出されました。

――ダ・ヴィンチは世界一の名画に託して、見えない暗号を本当に入れたのですか?

つくり話でしょう。過去にも何度も、手を変え品を変え出てきた、「画家が絵に暗号を入れた」系のオモシロ論文です。

――それがつくり話だと、どうしてわかるのですか?

『モナリザ』が歴史に残ることを、ダ・ヴィンチは知らないからです。傑作は当初から傑作だったりせず、カメさんルナさんに私たちは引っかかっています。歴史に残ることになる結末を知る私たちは、未来科学でかろうじて判読できるメッセージを入れたロマンに心ひかれます。しかし作者にとって、『モナリザ』は会心でない未完の作です。じきに捨てられるマイナーな売り物に、見えない字を誰が埋める気になるのか。

――ダ・ヴィンチがそういう変わり者だったということで、説明はつきませんか?

第一に、目に見えない字を、さらに暗号化する意味がありません。「小さい語句」か「大きい暗号」かの二択なはずで、「小さい暗号」では伝える気がないという。第二に、該当する字があれかこれか何通りか考えている現状で、「明らかに字だ」と言っては無理があります。まるで、暗号でないと不都合であるかのような話の順序です。「あなたには字に見えますか、見えるとしたら何の字ですか」と、今からアイデア募集している段階ですから。

――当時のダ・ヴィンチは、作業の遅いダメ画家だったとも言われますね?

生前に才人の地位だったことは確かです。しかし時の審判に勝った絵に、伝説をどんどん加える私たちは、カメさんルナさんの早合点をやりがちです。『モナリザ』の色の謎を解いた引き替えに、字の謎を用意してくれた時、「やっちゃった」と正直思いました。

――今回思ったのですが、美術の色はさして大事ではないということになりませんか?

形か色かの二者択一なら、そのとおり芸術性の決め手は形であって、色は二の次でしょう。「あの色があってこその『モナリザ』」的な主張は、なるほどと思わせる割には重みがないということです。

――形か色かの論争が、どこかにあった気がしますが?

写真芸術の世界で、モノクローム(白黒)こそが真を写しているとの意見が、昔からありました。モノクロ写真には、カラー写真にない迫力があって、これは色情報を消すことで、見る人の注意が形に集中するからでしょう。

――今の若い人たちが白黒写真を見たら、ものすごく古くささを感じそうですが?

ドキュメント記録はカラーが本命ですが、モノクロだとメッセージ力が増幅される場合があります。美術カタログをモノクロ図版にすると、作品の芸術性は判別しやすくなります。

――色で魅せる作品は、モノクロ図版では無効ですね?

カラーが持つアイキャッチ力に頼る絵などは、モノクロ図版化で沈みます。この沈む過程が、歴史に残る美術をふるい落とす関門と似ています。永続的な芸術性の決め手は、形の方に比重があるとする私の判断は、統計的な実態を計算に入れています。

――経年で色素が消えていくから、歴史に残らないという意味もあるのですか?

関係ないと思います。「形はあせないが、色はあせる、だから色は時代を超えない」という意味ではありません。「色が心理に与えるものは、熱しやすく冷めやすい」という意味です。色彩が消えた『パルテノン神殿』を、私たちはモノクロ作品として受け取っています。

――色が刺激として先行して、後になって形の方が利いてくるということですか?

その時間差はあるかも知れません。形に特異性がない作品は弱いという経験則は、カーデザインなどでも起きます。自動車をアートとしてみる時、モノクロ写真で見比べた方が、デザイナーのやりたいことがよくわかります。

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