現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館のQ&A

54 超能力を楽しみ、美術を楽しむ

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2011/2/22

――美術というものは、作品が理解できない限り、楽しめないものなのですか?

さあ、そこが問題です。重要な問題です。非常に大きな問題です。決定的な問題かも・・・。日本で超能力ブームが起きた1970年代後半に、ある論者がこう言いました。「ユリ・ゲラーは、日本では超能力者ですが、本国ではマジックショーの人なんですよ」。

――それは物事のカテゴリー分けが、国によって違うという意味だったのですか?

言葉どおりの意味です。外国ではエンターテインメントなのに、日本に輸入すると娯楽性が取り除かれ、真面目な話に化けてしまうという。生真面目な国民性というか、娯楽では客が集まらない傾向を暗示する談話になっていました。

――本国では手品のタネが見破られて、日本では見破られなかった、ということですか?

当時、欧州国でも見破られていません。アメリカで実証実験が行われましたが、それも実はショーなのです。タネを見破ったかどうかの違いではありません。

――でもどこの国でも、いずれはタネが推測されますよね?

日本にも類似の手品ができる人が続々と現れ、議論が起きました。「インチキかガチか」で。その方向自体が、最初からエンタメとして見ない生真面目傾向の表れです。テレビのショーを見て、手品か本物かでもめるなんて・・・。もし本物なら、テレビショーでなく学術会議で行われます。本物でないから、学術会議でなくショーでやっているのです。しかし、シンパの反撃が始まりました。「奇跡を起こす神や宇宙人の存在を認めず、手品だと勝手に決め付ける人は何なんですか?」と・・・。「いちいち難くせをつけたがるやつは、どこにでもいるものだ」と、人格攻撃も飛びかいました。

――そこまで手品にコロッとやられたなんて、昔の日本人はずいぶん素朴だったのですね?

似た事態はその後も起きます。日本の手品の奇才ミスター・マリックも、本物の超能力者として崇拝された時期があります。マリックの手品のタネを分析するテレビ局に、「種明かしして夢を壊すなんてひどい」という苦情だけでなく、「本物の超能力なのに、手品扱いなんてひどい」という、超人を擁護する苦情がけっこうあったのです。

――それって、テレビの洗脳力が強すぎて、害悪になっていると思いますが?

同じことは大学の講義でも起きています。ある大学の先生は、授業でスプーンを曲げたり、カード当てを演じます。そして、「今見た現象がなぜ起きたのかを考えて、リポートに書きなさい」と課題を出します。謎解きを論理思考させ、文章に表現させる基礎訓練です。ところが、そこで困ったことが起きたと、先生がラジオ番組で打ち明けました。

――そんな変わった授業で、どんな変わった反響があったのですか?

何人かの大学生が、手品を本物の超能力だと信じて変調をきたしたのです。「今まで半信半疑でしたが、やっぱり超能力は存在したのですね。すごいものを見せてもらって、僕の人生が変わりました」と。

――手品があまりに上手で、薬が効きすぎたのですね。

その学生は先生を本物の神だと信じて、タネやしかけの考察へと気持ちが向かわず、流れがおかしくなったそうです。リポート提出どころではなくなり、しかし授業は来年もあるからタネ明かしもできず、先生は困ったと言います。

――そのまま、カルト教へと突っ込んでいきそうな勢いですが?

逆へ向かったのが、例えばナポレオンズでした。手品を超能力だと言うと、注目されど真に受ける客も出るし、整合のために私生活でもウソが必要。それもあって、タネがすぐわかるジョーク系も混ぜたのでしょう。客に人生を誤らせない配慮というか。マギー司郎に続き、日本人の手品の楽しみ方を変えました。実はマリックも、自身は超能力でないと当初から断っていました。そもそもマリックという芸名に、正体が書いてあるのですが・・・

――手品と受け取らず、本物の超能力と受け取る大人は、何が違うのですか?

一般によく言われるのは、科学知識の不足と論理思考の欠如です。

――普通に考えれば、そうですよね?

原因がわからない状態が意味するのは、「真相はやぶの中」です。「わからない」という以上のことは、何も証明されません。それを、「わからないということは、手品でないということだから、神や宇宙人だと証明できた」と裏返す思考は、論理の飛躍や結論ありきのあせった態度です。このあせり方に注目して、私は全く違う観点から説明を試みたことがあります。この早合点に、人間のプライドが関係するのではと。

――プライドのせいで超能力だと信じ込むとは、その意味がよくわかりませんが?

例えばスプーンを曲げる人が現れると、最初は誰でも「仕掛けがあるだろう」と考えます。まずは手品を疑うのです。しかし手品師は人をだますプロなので、下積み時代から日夜研究し練習を重ね、容易に見破られない準備の末に、人前で演じます。音楽の演奏家が朝から晩まで、毎日毎日練習するのと同じで。だから、客にタネはわかりません。

――客がタネを見破れなかった時、次に何が起きるのですか?

普通の客は、手品師にいっぱい食わされたと思います。「なぜそうなるのかわかりません」と即座に負けを認め、不思議な現象を驚き笑っておしまい。ところが強いプライドがある客は、負けを認めることができません。そして、演技者を神や宇宙人に位置づけて、自分を守ろうとします。

――相手が神や宇宙人なら自分が守れる?という、その部分はどういう意味なのですか?

超能力で起きた現象なら、最初からタネや仕掛けは存在しません。ないタネは見破れなくて当然で、自分の目は節穴ではなく、落ち度がない・・・。神様は、トリックなしに奇跡を起こせることになっています。自分は神が起こした奇跡を見たのであり、けっして他人のトリックにはだまされていない。自分は人間に負けた覚えはない・・・と。

――そういう納得の仕方があるのですか?

このプライド仮説には、別の裏付けがあります。例えば「科学は万能でない」で始まる超科学の主張は、科学分野の中からではなく、常に外からの砲火です。専攻教育を受けない門外漢に限って、科学批判に熱が入る奇妙さが、長年気になっていました。ノーベル物理学賞の人が言い出すのではなく、元々科学が苦手だった子が成人して、「科学は信用できない」と超現実的な話を始める。この身のたけにそぐわない行動の原因を、プライドだとにらんだわけです。

――そういえば陰謀論でも、似たような風潮があった気がしますが?

世界経済を支配する超組織の陰謀説は、経済関係者でない人の主張です。超高層ビルを水爆で壊した陰謀説は、建築構造士や工法エンジニアではなく、設計事務所やゼネコンと無縁の一群。ジェット旅客機墜落の陰謀説は、航空工学やフライトマネージメントと関係ない職業。宇宙船の陰謀説サイトは、宇宙工学や通信技術と畑違いで、ミッション当時生まれていない人が執筆して。火星の秘密基地を隠ぺいする陰謀説はNASAの施設を訪れる立場にない人、恐竜の生存を隠す陰謀説は湖に旅行していない人という具合。現場から遠い人ほど、何でも詳しいという・・・

――イロハのイもない素人が、いつから物知りの事情通になったのか、というのは確かにありますよね?

長く生きた人が巨大陰謀説を信じない理由は、インサイダー情報が皆無のままアウトサイダーが結論する無意味さです。まあ、こうして畑違いの徒がトンデモ説に集まる現象と、日本でエイプリルフールが嫌悪される現象が、実は同じ心理メカニズムではないかと、前に考えたことがあります。

――エイプリルフールへの許容と、美術表現への許容の関連性は、前にも話に出ましたね?

生真面目で律儀な耽美作品から出られないのは、エイプリルフールに反発する感情と同根かもと、かつて考えました。

――日本で多いエイプリルフールへの反発は、どういう心理で起きるのですか?

要するに、だまされたくない気持ちが強すぎるのです。だまされる自分が許せなくて、だます機会をつくる風習をなくそうとする・・・。タネが不明の手品に対する不機嫌と、次に起きる超自然的解釈がこれと二重写しになります。「手品トリックがわからない」や「美術作品の意味がわからない」という、謎に翻弄される自分を回避しようと不寛容になるという・・・

――でもそうした自己愛のせいで、逆に詐欺に簡単にやられることも、実際にはありませんか?

架空の投資話に引っかかる人は、だまされ慣れない人かも知れません。マジックにだまされた覚えがなく、トリックに掛かった敗北体験に思い当たらない人だとか・・・。つまりだまされた事実よりも、だまされた自覚がカギ。過去に直面した巧みな完全トリックを、そのつど神や宇宙人のしわざだとし、だまされ回数をゼロにおさえた人は、これから引っかかる詐欺が、事実上の「だまされ初体験」なのかも知れません。

――だまされ嫌いが高じて、かえってだまされるのは、そういうメカニズムだったのですか?

「私は人間には絶対だまされませんよ、超能力を持つ神以外にはね」と鼻が高ければ、結局は神になりすました人間に引っかかるわけです。

――高学歴の科学者や医者がまとまってカルトに走ったあの事件も、それと関係があるのですかね?

実は超能力に引っかかる一角にいるのは、何とも驚くことですが、トリックに詳しくて目利きを自負する手品師その人なのです。高度なトリックを使う同業者を解明できないまま、超常現象だと信じている手品師が案外います。このように知識が多い人も少ない人も、結局は超能力のせいにするので、私は主因が知識量以外にあるとみたわけです。

――手品と美術には、どういう関連性があるのですか?

どちらも、客は灰色状態を楽しみます。手品は、タネが解明されない灰色。美術は、意味が解明されない灰色。その灰色に耐えられず、白黒決着を急ぐ人がいます。白黒がその場で決まらない時、違う世界へ追い払って遠ざけようとして、演技者を神や宇宙人だと片づけたり、作者を狂人だと片づけたりが起きます。

――最近は古いマジック映像を見てさえ、CGだと言う人がいますよね?

「あんなのは手品にあらず」という門前払いも、「あんなのは美術にあらず」という門前払いも、動機は同じかも。初めは謎解きにけんめいで、謎が解けないと却下にけんめい。皆さん何でも知っている偉人になろうとして、見物や鑑賞の肩に力が入り過ぎです。客が問われているのは、タネを見破る力や、作品を解読する力ではないのに・・・

――でも美術の場合、理解できないまま楽しめる人はあまりいませんが?

人類全般にその傾向はありそうですが、そうでない人もみました。前に触れましたが、私のアパートを管理する小さな不動産店の店主がそうでした。普通の高齢者でしたが、現代美術が好きでよく見に行く話を聞きました。「現代美術を、これはいったい何だろうか、どういうつもりで作ったのだろうかと思いながら、見て回るのが楽しい」と、ニコニコ語ってくれました。

――その人にも、謎を解こうとする関心はやっぱりあるわけですね?

確かに思考停止ではなく、しかし必死でもなくて。超えられたからと怒り出したり、対決姿勢を強めないところが大違いです。わからない現象を前に、自分は何でも知っているという方向には行かず、わからなくても平気。わからない状態を楽しく遊ぶ余裕の接し方でした。

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