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電子美術館のQ&A

57 東日本大震災の自粛vs美術の節度

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2011/4/6

――東日本大震災で、自粛(じしゅく)をめぐってちょっとした議論が起きましたね?

セ・リーグのプロ野球試合をスケジュールどおり始めるかの問題と、お花見に行っていいかの問題が発端でした。イベントをやめろという人と、やれという人が現れました。野球は電力節減の問題を含みましたが、花見は多分に感情と理性の対立でした。

――問題が大きくなっていましたが?

役所側から民間に対して、行事を自粛するよう要請したので、話が広がりました。この要請は少し奇妙でしたが。

――自粛は自分で選ぶものだから、他人が指図したら、もはや自粛ではありませんね?

よくある「行政指導」という、命令の形をとらない命令でしたが、この問題の焦点は、人が他人の行動を支配することの是非論です。

――花見の良し悪しは、どちらの言いたいこともよくわかりましたが?

わかった上でどちらをとるかといえば、私なら行楽やイベントを自粛せずに行います。イントロに祈念セレモニーや黙とう時間を設け、寄附金募集のチャリティーコーナーを加えて、いつもより多く客を集めようとします。

――自粛しないで、イベントを決行するメリットは何ですか?

目的は、企業の倒産と社会人の失業を防ぐことです。社会不安の実質分を減らす方向が、私の選ぶ価値観。実質分というのは、要するに金銭の動きです。他国へ連鎖波及する経済停滞も最小限にとどめて。しかし恒例イベントがいつもの規模では、被災地へ送る現金まではつくれないから、特別ショーなどを臨時で加えるわけです。

――しかし現実は、イベント拡大どころか、例年どおり、いや縮小して行うのさえ許されませんよね?

かなり困難だと思います。4カ月後の夏に予定した東京の花火大会が、「そんな気分でない」と中止されました。これは要するに、東京が4カ月後も気落ちし続けるつもりでいる宣言です。そもそも、打ち上げ花火は盆と関係があって、亡き人へ思いをはせる慰霊行事だと思うのですが・・・

――なぜ日本では、イベント開催ができなくなるのでしょうか?

感情対理性のたたかいに、もつれ込むからです。気持ちが盾なので、議論は無限ループか平行線でしょう。

――自粛を強要する人は、15年続く経済不況をもっとひどくしたくて強要するのですか?

悪意はなく、単純に影響に考えが及ばないのだと思います。社会不安をあおる愉快目的や、ライバル業者の下げ工作という線はないでしょう。ひとつの観点ですが、公職にある一部の人が、自粛すべしを言い出しました。不況知らずで食いはぐれることのない立場の人が、逆の立場の人を追い詰める構図で始まったのです。

――でも、被災者の気持ちに強く同情する、その心優しさは高く評価できませんか?

それは無理な話です。自粛をうながす主張は、被災者ともすれ違っていたからです。被災者がいやがる自粛を、やろうとしていました。

――なぜ、それがいえるのですか?

普通の日本人は、救われる権利を自分が持つとは考えないからです。天災に見舞われた自分が、回りの人まで巻き込む事態をむしろ申し訳なく感じ、心の負担になるのです。「そこまで気をつかわないで欲しい」と。自分のために、各地の行事をやめさせるのは心苦しい・・・。そうした証言は、過去も今回も、もれ聞こえていました。

――建物が壊れた東北の酒造メーカーが、自粛をやめて花見の酒を買って欲しいと訴えていましたね?

「寿司食いねえ、酒飲みねえ」と、飲めや歌えの桜の宴でワーワー大騒ぎした方が、被災地が助かるわかりやすい例です。だから1.17(編集注:阪神淡路大震災)では、大阪側が自粛などせずに経済を回し、神戸側に感謝された秘話が残っているのです。

――なのに今、自粛を他人に求める空気は、根強くくすぶり続けていますが?

だとすれば自粛の正体は、自己中かも知れません。他人のことなんか思っていない。イメージだけの善意か、特殊な自己実現か。名士が好む「消費しない国へ転進するよい機会だ」にしても、過渡期に犠牲者が増え過ぎます。ひと財産を持たない庶民が、どうでもいい扱いになっていて・・・

――順を追って考えると、そういう疑惑も感じられますね?

日本で作られる柔和な美術作品にも、そういう押しつけの情の迷惑が、実はけっこうあるのです。

――今日は美術の話よりも、日本人の行動規範の話が興味深くなってきましたが?

巻きぞえの他人をかえりみない行動は、別の場面でも聞きました。夫婦別姓を認める法律についての討論番組でした。「夫婦別姓を認める法律にあなたは賛成ですか、それとも反対ですか」と、司会者が会場で聞いて回った時でした。

――何が起きたのですか?

順に質問が回ってきて、「私は反対です」と答えた人が理由を聞かれて、こう続けました。「私は結婚しても別姓にしませんから、今の法律でいいです」と。

――自分だけ良ければ、というわけですね?

当然ながら、周囲の人がすぐにたずねました。「他人が別姓を選べなくする理由は何ですか?」と。

――どう答えたのですか?

本人はその質問の意味がわからず、取り乱しました。「えっそれどういうこと?」とは言いませんが、まとまらない説明に終わった記憶があります。

――同じ法律が他人にも適用されることに、気づいていなかったのですか?

同姓を強制する現行法では不都合な立場が世に存在することが、視界から落ちていました。こんなふうだと、別姓を悪用するケースの想定や危機管理など、勘案に必要な議論がいつまでも始まりません。その人は、他人を封じる意図まではなく、他人に無関心なだけだったのでしょうが。

――それは、でも、若い人にありがちな、逆の立場で考えないモラル喪失ですよね?

今回のイベント自粛のすすめは、けっこう高齢の人も唱えていたとか。「イベントやめます」と明言せずに様子見中の主催者や、平常どおりの商売に戻した経営者に、自粛せよの意見や抗議の電話があり、声で年配が多かったそうです。

――不況へ向かわせよう、向かわせようとする圧力は、考えてみれば怖いですね?

自粛がまねく経済の縮小で、小企業の社長が何人首をくくったり、七輪を買うかわかりません。何人の従業員がホームレスに転落するのかも。数年後に貯蓄が底をついて、強盗やひったくりも増えるでしょう。善意の衣をまとった情がまねく必然の帰結が、民間人に迫り来ます。自粛しろの抗議は、「おたくの会社に爆弾を仕掛けた」の予告と似た効果になりかねません。

――それでですが・・・、善意の衣をまとった美術がある?という、さっきの話ですが?

芸術家というものは、極端な自己中です。ゴッホもピカソも、ダリもミロも、自分の都合だけで絵をかきました。他人の評価の都合は無視。この自己中制作で、美術業界が活気づいて新しいマーケットができたのです。日本の美術界も、彼らの自己中作品の恩恵を受けています。例えば展示企画のバリエーションが増えて、人の雇用や登用も増えました。たくさんの本が書かれ、テレビ番組の切り口や材料も増大。わかる、わからないを論じるブログネタも豊富です。

――芸術の世界では、善と悪が入れ替わることがよくありますね?

そんな芸術家の自己中に対して、逆にそれを制限して業界の波乱を防いで秩序を維持しようとがんばる、アカデミックな守旧派の行動が一方にあります。「変なものを見せられる人がかわいそうで、目の毒だから」と、ゴッホやピカソの同類たちの身勝手な作風を封じ、節度を守らせる良心です。善玉の立場で、間違った画家に自粛を要請するわけです。

――てことは、まじめで地道で古風な画家の良識が、逆に社会に悪影響を与えるわけですか?

ふざけて派手で新風を吹かせる画家と比べて、いったいどちらがより良質か悪質かという、結果のパラドックスが隠されていると思ったのです。利他的な社会貢献はどちらかと。

――何にしても、行き過ぎた自粛は良くないということですね?

違います。行き過ぎがまずいのではなく、自粛がまずいのです。第一、「過度な自粛はやめよう」という耳ざわりのいい落としどころは、実際には「過度」の範囲が拡大していきます。旧社会主義国の「国民の節度」が、モンスター化し恐怖政治に進んだのと同じこと。目を転じれば、「過剰な個性はだめ、適度ならよし」という節度によって、国内から生まれる美術は国際的にこんなにシケた地位に落ちているのです。

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