| 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ | |
60 20世紀最大の謎、ネッシーと抽象美術 |
|
2011/6/4 |
|
――わからない美術は、見方を変えて解決しませんか? わからない美術とは十中八九、抽象美術でしょう。これをセーターの模様だと思えば、わかる場合があります。 |
|
――理屈で考えるから、世の中にわからないものが増える気がしますが? 全般には逆で、人は理屈で考える方が苦手です。理屈一辺倒でこじれることもありますが、どちらかといえば理屈無視の願望と早合点で、迷走を深めるケースが多いと感じます。芸術とは何かの設定もそうで。創造が道理上もつ破天荒で不可解、不快な性質を無視して、柔和で穏健なイメージで語ってしまうのも、結論ありきの願望走りです。 |
|
――結論ありきといえば、例の検察官の証拠ねつぞう事件の判決が確定しましたね? 望む結論を先に決めて証拠を取捨する、秘伝の捜査法でした。結論に合う状況証拠を採用し、合わないのを却下する、いわゆる“チェリーピッキングの詐術”を使えば、360度どこへでも話を落とすことができ、誰でも有罪にできます。合わない証拠を改変したり、新作して加える小わざは、その流れの中で自ずと必要になります。 |
|
――ひどいやり方ですね? 私たちも日常的にやっています。例えばブログで、賛同コメントだけ残し、反対コメントを消して回るとか。検察官の秘術と似た行動は、普段の生活でやっています。もちろん、反対コメントが悪態である理由も多いとは思いますが。 |
|
――あんな捜査法だと、犯人捜しになっていませんが? なので、人は理屈を通す方が苦手とわかるのです。法律できつく制限されても、ああですから。制限がなければ、どうなることやら。人は理屈を無視して、願望で行け行けどんどんの方が大好きだし得意。熱も入り、モチベーションも生きがいも高まる。いっしょうけんめいでも、その程度かも。 |
|
――そこを、あえて見方を変えて結論が変わる、そういう何かいい例がありますか? 例えば理屈で考えると、イギリスのネス湖にネッシーはいないことになります。 |
|
――恐竜ネッシーといえば、目撃証言や証拠写真がたくさんあるから、数の多さで信用できそうですが? 水面の恐竜を見た証言や写真は、先の検察官のケース以上に自由に作れます。法律の制限はないし、罰則もありません。合う状況証拠だけ選んで、決め手の物証を新たにつくれば、結論を好きに持って行ける・・・。それは、刑事事件よりもネッシーの方がさらに簡単でしょう。 |
|
――ネッシーの証拠写真を精密に画像解析すれば、真実はわかりそうですが? それだと写真判定という五感への深入りにすぎず、見方の変更ではないから、結局は願望に引っ張られます。判定ソフトを、望む結論が出るようプログラム調整するとか。見方を変えるには、焦点を別次元へ移し、心の思いを引きずらないことが大事。例えば、数学の背理法が応用できます。 |
|
――背理法を使えば、ネッシーがいるかいないか、どう判定できますか? まずネス湖には、古代の恐竜が生息しているのです。背理法は、恐竜がいる前提でスタートします。するといったい何が起きるのか。 |
|
――その恐竜を誰かが目撃して、それがあの有名な写真だとすれば、つじつまが合いますが? つじつま以前に、写真は有名になっていません。 |
|
――どういうことですか? その前に整理することがあります。ネス湖の怪物は、欧州に生息した首長竜のプレシオサウルスだと言われてきました。重要な写真は、象が鼻を振り上げた姿のように、生物が首を上に伸ばしているから、サメやジュゴンではありません。この首長竜は、しかし恐竜とは呼びません。首長竜はワニ系、恐竜はトカゲ系で、分類が別になっています。 |
|
――想像図では、ネッシーの足は4本ともひれ状ですが? ところが2006年時点で、そのプレシオサウルスの首はおじぎはできても、高く上がらない身体能力がわかりました。なので写真は、北米のアパトサウルス(旧名ブロントザウルス)に似た恐竜です。数々の写真が裏付けているので、ネッシーがこのタイプの恐竜でないと話全体が崩壊します。 |
|
――ならば恐竜だとして、なぜ実在すれば写真が有名にならないのですか? 人々がしょっちゅう恐竜を目にするからです。首長竜であっても恐竜であっても、えら呼吸でなく肺呼吸するので、水中ではなく大気中から空気を吸います。水泳する人と同じで、息つぎが必要。こうして水面に頭を出す恐竜を人々は毎日何度も見るので、そもそも珍現象にならないのです。 |
|
――臆病な恐竜が人目を避けてこっそり空気を吸えば、めったに目撃されないと思いますが? 恐竜は魚類や両生類ではありません。は虫類です。ヤモリやヘビと同じ陸上動物だから、水中にもぐって生きられず、普段は水から出ています。カエルのように水中には産卵できず、湖岸に大きい卵を産んで子育てします。体長15メートルともなれば、人目を避けられずバレバレ。 |
|
――ならば人は、湖のほとりで恐竜と出会うわけですか? 私たちは本物の恐竜に動物園で出会います。恐竜はパンダのような人気者で、客寄せの目玉でしょう。上野の動物園で、トカゲと象を足し合わせたカワイイ系アイドル。 |
|
――恐竜の数がごくわずかなので、見る機会もごくわずかだとは考えられませんか? すると次の背理法に進みます。仮に恐竜の数がわずかだとすれば、何が起きるか。 |
|
――ああ、絶滅していますね? エリア内にオスメス合わせ200頭から500頭はいないと、カオス的な環境変動を越えられず、種を保存できなかったでしょう。パンダは保護区で1000頭ほどを保っていますが、保護されない恐竜だと、湖と近辺にウジャウジャいなかったら、6550万年も世代交代し続けるのは無理だったでしょう。 |
|
――6500万年前に隕石が落ちた気象変化で、恐竜は絶滅したとされますね? 複数の説の中で、6550万年前の隕石衝突説が結論づけられたのは昨年2010年です。隕石衝突後も細々と生きたネッシーにとって6550万年はけっこう長く、人類の文明史1万2千年を5400回続ける長時間です。飢饉や疫病とか天敵繁栄など、色々な事件があったことでしょう。 |
|
――ならば今現在、ネス湖に恐竜がウジャウジャいるとしましょうか? さらに次の背理法です。数百頭の巨大生物があの面積の湖を本拠地とし、何を食べるか。湖畔の鹿や牛や草ならまだしも、水中の魚は無理です。ネス湖は水深が深い割に、土質による水質汚濁が原因で、いわば死海といえるほど魚影が薄いと昔からわかっているからです。 |
|
――恐竜は腹ペコで、とっくに餓死していますね? ということは、恐竜が生きていた最初の前提が、ぐるり回って「それはないだろう」と否定されるのです。「いてもおかしくない」の願望は、「いたらおかしい」の理屈とぶつかります。 |
|
――湖の底に、海に通じる秘密の抜け穴がある説は、だから出てきたわけですか? 地球内部で地底人が飼育しているとか、宇宙人がひそかにエサを与えているとか、異次元空間に出入りできるとか、実はサイボーグだとか、色々な説が考え出されました。最初に決めた結論に証拠の方を合わせていき、時には証拠を新作してまで結論を守る検察官の秘術が、ネッシーでも行われてきたわけです。 |
|
――思い切って、湖の中へ人がもぐって調べたら決着がつきませんか? それをやって、学術として決着しています。観測船の超音波ソナーで調べると、大型生物も抜け穴もなかった。というか、そもそも恐竜の時代にネス湖はありません。恐竜が絶滅した6550万年前から、数えて6549万年近く後、つまり今から1万年ちょっと前の、最終氷期の終端、日本なら縄文時代が始まる頃に湖になったのです。人類文明史5400回分の年月を5399回分終えて、最後の最後にラスト1回が始まった後に水を張ったという、恐ろしく新しい湖です |
|
――古すぎる生き物と、新しすぎる湖のミスマッチで、昔から答は出ていたのですね? ネッシーの写真を穴があくほど見つめてもわからない謎が、地質を調べたらスッと解けます。さらに別の視点もあります。ネス湖を行く船の船員に、昔から目撃者はいません。水面から遠い人だけが自称目撃者で、水面を見つめる交通業者の目にも、ライブカメラにも映らない意味は何か。峠の幽霊を地元の人が知らず、学校の幽霊を住み込みの用務員さんや警備員が見ないのと同じパターン。おまけに、湖畔に転がっているはずの恐竜の死体や骨が、影も形もない・・・ |
|
――要するに単なるデマなのに、なぜいつまでも謎になっているのですか? 早いうちに、大人の対応に切り替わっているからです。観光客を集める地域振興と、子どもたちに夢を与える目的で、皆で話をぼかしています。サンタクロースの靴下に、大人が切り込んで論を張らないのと同じ。だから生物学界の若手博士たちも、研究課題にしないわけで。恐竜の話題が日本に紹介されるより前に、当国でつくり話とわかっていました。スパゲティのなる木や、巨大イナゴと同じ。 |
|
――まちおこしの作戦だったのですね? イギリスでは、オカルトのサブカル娯楽は輸出産業です。デマはお金になります。日本でも地域おこしの起爆剤として、イッシーやクッシーが続きました。ヤマタノオロチと同様で、文化的な価値を買ったのです。私も機会あれば、てこ入れ用に恐竜の最高の写真を作る気でいます。その陰で、一部の大人までが写真を真に受け、そこがサンタやヤマタノオロチと違います。 |
|
――美術がわからない人も、ネッシーと同様に写真こだわり過ぎなのでしょうか? うまい・・・。セーター模様なのに、写真と見立てて謎深まるのは、絵画鑑賞でよくあるパターン。ビジュアル目視のみフル回転して、それ以外の視点が休んでいます。 |
|
――背理法的にたどると、ものごとの認識は激変しますね? 「仮に宇宙人が本当に空を飛び回ったなら・・・」「生物から魂が抜けて活動したなら・・・」「人の考えが透視できたなら・・・」「未来がわかったなら・・・」「亡き人と交信できたなら・・・」「客に有利な投資が存在したなら・・・」。各々何が起きているか、現実の世がどんなことになっているかを考えたら、認識が一変します。それでも人は、直線的な一本調子から簡単に出られません。「逆に考えるんだ」とは、なかなかいかない・・・ |
|
――そこでと言っては何ですが、美術鑑賞に背理法を持ち込めばどうなりますか? それならば・・・、そうですね・・・、「絵は何を意味するか」の謎解きで視点移動するために、仮の前提を二つ出しましょう。ひとつは、「絵は写真だ」。もうひとつは、「絵は顔だ」。 |
|
――「絵は写真だ」は、ごく常識的な見方ですね? 「人間カメラによる撮影イコール絵」の写真判定主義です。この主義のツボはトロン・プルイユ(だまし絵、写真リアリズム)であり、抽象絵画は何なのか永久にわかりません。へたで、意味不明で、受け取るものなし。古代の美術も抽象だからお手上げ。わかるのは西欧千年の写実具象だけで、世界の人類1万2千年を全くカバーできません。写真だと仮定して見れば、つきあえる絵は狭い範囲です。大多数の美術はわからないまま終わってしまう・・・ |
|
――「絵は顔だ」と仮定した場合は、全てを人物画に見立てるわけですか? というより、顔なら表情や顔色を持つはずです。そのつもりで見れば、あらゆる絵は作者の都合を何か語っていて、何かを隠してもいます。難しい話や細かい話ではなく、別次元の話で、絵は表看板の機能が一番大きいのです。看板に表示されるものは、「作者がやりたかったのはこれ」。 |
|
――作者がやりたいこと?、を見て鑑賞は足りますか? 形を物に似せていない抽象美術では、写真判定はできないのですから・・・。音楽を聴いて、音が梅か桜かで悩むようなもの。作者は「自分が見たいのはこれ」と嗜好を示し、それは決定的な「情報」です。何を描いたかよりも、どんなふうに描いたか・・・。「これこれ、こんな感じを見たかった」と作者。これが鑑賞のつかみになります。カメラ視点から離れると、具象も抽象も平気で、現代美術も恐くない。 |
|
――事件捜査、恐竜考察、美術鑑賞、どれも硬直した先入観で、難しく複雑にしている感じですね? 共通するのは、願望と早合点による結論ありきの信念です。そそっかしいといえば、そそっかしい。まさに先入観。ただ、全て改めよとは言いにくい面もあります。作る側にしてみれば、世の先入観に乗じてミステリー小説や超常現象物語、映画やアートを用意するからです。それらの出し物は一種の都市伝説であり、いうなればデマです。 |
|
| 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ | |
| 電子美術館へ戻る | |
Copyright(C)2005 21SEIKI KOKUSAI CHIHO TOSHI BIJUTSU BUNKA SOZO IKUSEI KASSEIKA KENKYUKAI. All Rights Reserved. |
|