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電子美術館のQ&A

62 ゴッホはなぜゴッホになったのか

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2011/7/1

――考えてみれば、ゴッホにすごい絵がかけた本当の理由がわかりませんね?

ゴッホと他人の差は何か、という疑問だと思います。例えば、ゴッホは色彩が大胆だとよく言われます。青と黄が好きだったようで、大面積に塗った絵が多くあります。

――『ひまわり』なんかも、黄色一色ですね?

真っ黄っ黄に、夜の室内を塗った絵もあって、黄色はラッキーカラーだったのかも。黄色より明度を下げた、やまぶき色もよく使っています。黄色の近傍の緑色は、意外に使っていません。例外はあれど、アクセント的な使用が大半です。

――南フランスの明るい風土を反映したゴッホという、テレビコマーシャルがありましたが?

南部のアルルへ移った頃から、黄色趣味が強まったのは確かです。それ以前のオランダとパリの頃は、茶色系のアーシーなカラーが多かったようで。

――そうするとやっぱり、南部色がゴッホを育てたように思えますが?

同じ地域に暮らした画家は他にゴマンといるから、それがゴッホの特異な絵の理由にはならないでしょう。単純に絵が輝くように明るいのは、絵の具のグレードが高級品だからで、ひまわりの背景まで黄色くした理由が気候だとしても、花びらが狂い咲いた理由は別にあるはず。

――ゴッホは、労働者に敬意を持っていたそうですが?

庶民的な、一次産業の人々を描いた絵がゴッホに多くあるのは確かです。人嫌いの引きこもりではない。宮廷などハイソな世界へのあこがれや、社交界セレブへのアタックはなかったようです。でも、絵の特異性の理由ではありません。

――パリでは、孤立した異邦人だったようですが?

当時のパリ市は芸術の都だったから、画家に限らず大勢の創作家が各国から来ました。よそ者の人数が多い点で、ゴッホだけの事情ではないでしょう。

――日本の浮世絵の影響も、多少はありそうですが?

塗り分けや色づかいに、インスパイアーはあったでしょう。『おいらん』の模写はヘヴィメタルっぽい絵で、以降は荒めになります。ところが、スーラなど新印象主義がやる点描画の手法もその時期に始めて、影響は混在しています。浮世絵もまた、ゴッホにとって周辺の話です。

――芸術家コロニーを目指していた点はどうですか?

ゴッホの性格は「俺が俺が」ではなく、「みんなで上を目指しませんか」という、オープンな連帯と助け合いが好きだったようです。共同で切磋琢磨し、「あわよくば自分も上に行きたい」的な、ひかえめな人だったのでしょう。私の直感では、ゴッホは自分が得することに罪を感じるタイプです。それも、あんな絵の理由ではなさそう。

――宗教への傾斜もありましたが?

神学の専門家になって、人々に教えを説く希望があったようです。その目的で語学をいくつも学び、マルチリンガルの秀才でした。しかしそれも、画面の理由とはいえません。

――仕事を点々としたことは、何か関係ありませんか?

画家に多いパターンです。現代でもそうですが、パートタイムの日曜画家は絵に身が入りません。ゴッホが画家デビューしてから、仕事が両立せずにすぐに退職したのは、特別なことではなかったはず。

――飲む、打つ、買う、の悪癖はどうですか?

飲む、吸う、買うの風紀の乱れは、よく出るカウンター話です。ゴッホのかわいそうさに同情しすぎた美談やら、崇拝しまくる後出し賛美の風潮へのカウンター。しかし当時、退廃趣味を持つ画家は多く、作品への因果はないでしょう。

――となると、やはり気が狂っていたせいですか?

「ゴッホの手紙」には、テレパシーや集団ストーカー被害、関係妄想や思考障害の反復がなく、よく指摘される統合失調症の陽性の可能性はゼロでしょう。間違った通説が流布した発端は、創造物についていけない医者が後に書いた感想です。写実具象しか許さない保守的な目には、デフォルメ絵画は怖い狂気に映るからです。まるで中世の魔女を見る目。写真に近い絵は健康で、遠い絵は病気という観点。こんなだと、古代エジプト人は全員狂気との診断になります。

――ゴッホに精神障害はなかったのですか?

強いていえば双極性障害です。そううつ病の別名で、ただし影響は制作ペースやモチーフぐらいです。ゴッホの絵のタテ線が左に傾いていたり、点描画のタッチが強じんなのは、精神疾患と関係ありません。

――結局、ゴッホをゴッホたらしめた、決定的な要因が何も見当たりませんね?

簡単なことです。日本で1974年に出版されたゴッホのミニ画集が、今ここにあります。解説は美術評論家の高階秀爾が書いています。その中の年表にこうあります。「1886年、33歳、1月、アカデミーに入るが、権威主義に強い不満を抱く」。・・・これが答です。

――ゴッホは、反権威主義だったのですか?

ゴッホは前衛でした。革新志向。体制につかず敵対。これがカス画家ゴッホを、巨大なゴッホに育てた最大の理由です。業界に従わない、アンチの異端。ゴッホの絵には、明確に家元打倒の姿勢が出ています。「炎の人」の炎とは、権威に立ち向かう燃える闘魂だった・・・。ゴッホは前衛なのです。

――なぜゴッホは、アンチ権威主義になったのですか?

性格プラス経歴です。ゴッホは元商社マンで、宗教の伝道師を目指しました。画商に就業した後で絵を始め、何年か後に美術学校に学び、それが33歳での入学です。染まりやすい18歳の少年ではなく、価値観ができたおっさん。アカデミズムに学んだ誇りや、技法への敬意や郷愁、恩師への敬愛などが、ゴッホには植え付けられていないのです。

――でも若者なら誰もが、最初は権威に反抗しますよね?

私の知る限り、若者が権威に反発する動機は若気のいたりです。大学の1、2年でとんがっても、4年生で別人のようにおとなしく権威側につくのが普通の人。みんな長い人生を安泰に生きたくて、良い子になります。しかしゴッホは違って、年齢を重ねても悪い子で、安泰なんか蹴った・・・

――ゴッホが美術教育界の敵だった話なんて、全く聞いたことがありませんが?

アカデミー側からみると、ゴッホの絵は最初はつまらなくて、死後に見直されてからは思想的に敵です。美術界の主流からみれば、憎むべき反抗分子。しかしだんだん国境を越えた権威になって、遠いジャポンの新進小説家までが称賛したから(編集注:1911年、武者小路実篤たち)、アカデミー側もゴッホを取り込み利用したかっこうです。ゴッホは今や権威側の持ち駒になっているから、美術界の優秀な先生、お偉いさんのイメージで見てしまうのです。

――ゴッホのアンチ権威の態度は、作品に表れていたのですか?

画家ならすぐ気づきますが、「美術ならばこう」と最低限やるべきことを、ゴッホはやっていません。アカデミーの教義を踏みつけた態度は、作品にもそれっぽく気配が出て、初見で勘づかれたでしょう。

――当時は、奇妙な画家に映ったのでしょうか?

ゴッホの絵は全然描けていない上に、葬式にヘヴィメタルのステージ衣装で出るような、わけのわからない勘違い感を与えました。むき出しの感情に満ち、芸術の香りや気品の装いも、鑑賞者へのこまやかな気づかいもまるきりありません。画面はブサイクで、化粧っ気も芝居っ気もなし。アーティスティックなうま味のない感情的な独りよがりで、由緒正しい画家の目には禁忌のかたまりです。

――そんな生々しすぎる絵は、当然売れないし落選ですよね?

他の画家の美術らしさにあふれた、商品価値の高い意欲作が並ぶ中、「美術として、これはないだろう」と、客も審査員もゴッホを相手にせず、出世は閉ざされました。ゴッホの絵の変化をみると、後の作品ほど激しくなり歪みも増します。受け入れられず不審を感じた彼が、言いたいことを明確化させ、エスカレートし続けたと観察できます。みんなの関心がないところで、一人盛り上がるゴッホの孤独な姿です。

――悪循環に陥っていたわけですか?

自分が無視され続けている確信が強まるにつれ、ゴッホは絵に思いをさらにぶつけ、絵は壊れて傑出したわけです。無視される、がんばる、もっと無視される、もっとがんばる・・・

――とすると駆け出しの頃の絵は、晩年よりもパワーレスだったのですか?

将来に希望を持つ頃の絵は、異質性が小さく没個性です。美しいものを見る天性の審美眼があったとかは、後付けの創作話。具体的には、有名な『跳ね橋』にゴッホの真価は乏しく、ネームバリューの援護射撃を要する絵です。あの程度で終わったなら、歴史に消えた可能性が高いでしょう。

――だからゴッホの傑作は、最晩年の2年程度だと言う人が何人もいるのですね?

人生を放棄する前27日以内の絵、『カラスのいる麦畑』が最高作だと思います。絵を相手にされない男が、果てまで追い込まれた失意と呪いが正しく反映され、他の画家に類似品はありません。他の画家は、とっくに良い子に転じています。

――ゴッホの全作品は、強弱で二分されているのですね?

『跳ね橋』がウケなかった理由と、『糸杉のある道』がウケなかった理由は、別だった可能性が高いでしょう。

――具体的には、どういう理由ですか?

『跳ね橋』はクソ絵画だった、『糸杉のある道』はキモ絵画だった。だから皆さん、タダでもいらないと思ったのです。

――絵以外の普段の行動にも、ゴッホのクソぶりやキモさは表れていたのですか?

「ゴッホの手紙」をみると、彼はおべっかを使いません。強者に取り入って自分を曲げたり、ぶれたり、サラリーマンなら普通にやる立ち回りを、彼は元サラリーマンなのに全然やらない。これは、ゴッホの作風を解くには必要なトリビアです。

――ゴッホになりたいなんて今言う画家は、制作をロマンティックに考え過ぎていますね?

総本山に盾突きますか、出世不能でも続けますか、というのがまずあります。「芸術は個性」の極致たる彼の絵は、自分の腹を切り裂いて内蔵を引き出し、ホラッて見せて回るような内容。見ようによってはホラー。ゴッホになるとは、「美術として、これはないだろう」と全員に言わせ、人生の一切を全否定され、変死も辞さない誓いです。同じ目にあおうとする希望が方便でないなら、後世の美談に感化されたのかも知れません。

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