現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館のQ&A

64 現代美術はイカサマの詐欺か

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2011/7/17

――最近、現代美術への不信の声が聞こえますが?

国内で現代美術展が普及する過程で、抽象が苦手な人は気が重いでしょう。一方、少し前に中国で現代美術バブルがはじけました。大売れのコンテンポラリー作品が欧米の焼き直しに見えて、人類の限界を感じていた人もいたでしょう。

――喧騒の現代美術は、美術界を堕落させていませんか?

やかましい新興美術の堕落批判は、印象派(1874〜)の頃にもあります。過去の崇高なリアリズム絵画が神扱いされ、モネの『すいれん』やセザンヌの粗雑な絵がイカサマとして叩かれました。当時の古典美術ファンも、新興美術の台頭には気が重かったのでしょう。

――現代美術のイカサマ詐欺のルーツは、印象派ですか?

さらに先輩をみると、アングル(1780〜1867)とドラクロワ(1798〜1863)の対立もあります。正確なデッサンを主張した先輩アングルに照らせば、デフォルメ誇張でタッチもぼけた後輩ドラクロワは、イカサマ詐欺そのものです。アングルはドラクロワを最悪扱いしますが、2人は平行線漫才の大瀬ゆめじ・うたじの役分担に似ていたりします。

――とすると、アングルこそが西欧史上最もアカデミック気取りの画家だったのですか?

そのアングルも色は飛躍し、派手で劇的な演出があります。ルネサンスの目でアングルをみると変に斬新で、シュールな趣向があったり。アングルは権威側のボスでありながら、絵は何となく突飛な珍しい人です。

――新しく生まれた美術はどれも、いったんはイカサマ詐欺だったのですね?

錬金術師まがいのアーティストが現れては、勝手に色を変え、形を変え、分解し、架空の形態へエスカレートしながら、ルネサンスから近代へ至り、今の現代美術に続きます。

――現代美術では、エスカレートはどこまで達しましたか?

現代美術の軸は、大きく2つあります。「三大画家タイプ」と「ダダ運動タイプ」です。三大画家とは、ピカソ、ミロ、ダリのこと。ゴッホやセザンヌもその部類です。

――ピカソら3人はこなれた絵に見えますが、イカサマ詐欺とまで言われたこともあるのですか?

もう散々に言われました。きれいでない、非現実的で意味不明な画を、きれいで意味ある画より高く売っている。インチキだ、画商の金もうけの陰謀だ、評論家の洗脳工作だと、反対運動も起きました。日本でも、ピカソはわからない美術の筆頭です。「ピカソは写実もできたから抽象が許される」式の言い方は、要するに「写実デッサンの経歴に免じて大目に見るが、作品はインチキだ」の意味でしょう。「ピカソ以外がやったら、承知しないからね」と。

――その三大画家タイプの、最大の特徴は何ですか?

個性です。独創性。独自色。どれが誰の作品かを個々に覚えなくても、「あいつの絵だ」と新作が一目で類推できるユニークな作風が価値です。ワン・アンド・オンリー。他人とかぶらない。ゆえに代用も利きません。見せ場が絵の中に含まれているから、コンセプトが不要。客は勉強したり論文を読まずに、作品だけ見て済みます。

――もうひとつのダダ運動タイプは、どういうものですか?

ちょうどその逆です。ざっといえば「反芸術」がテーマ。20世紀ダダ運動はスタート当初から、廃棄物の材料化を含みました。それが拡散して、市販の便器だけのレディーメイドや、国家が決めた国旗を拡大しただけのポップアート、砂利をまいただけのインスターレーションとか、地面に球をドンと置いただけとか、まんまキューピー人形それだけとか。

――その「だけ」という部分が、不信を呼んでいますが?

個性がない、独創でない、独自性がなく、他人と特に違わない、何でもないもの。一目で「あいつの仕事」とわかる特徴がないとか、同じ人の作に一貫性がないとか。場当たり、イージー、簡易、インスタント・・・

――それですよ、現代美術を見て率直に出る感想は?

こちらに対しても批判があって、わかりきった凡ネタを優秀な美術だとあおって売る、イカサマ詐欺だとの疑惑が出ています。「へっ、それだけ?、それで終わり?」。「特異な形態や創意工夫がこれといってないのに、サインひとつで何で家一軒買える値段になるわけ?」と。

――何でもないものが、なぜそこまで高く売れるのですか?

ネームバリューです。ダダ運動タイプは、ネームが先行する高度情報化社会が大前提です。要はマスコミとジャーナルのアナウンス効果が武器。付帯情報が生命だから、作品は何だっていい。別に内容勝負でないから、臨時アルバイトに作らせるもよし、他人の作を拾って自分の名前を書くもよし。店で買った物品を、私の作品ですと言うもよし。

――そんな作品は一過性のハッタリにすぎず、裸の王様だと思うのですが?

やる側が、一過性のハッタリだと思っています。自ら裸の王様たらんと、知ってやるのがダダ運動タイプ。イカサマ詐欺それ自体をコンセプトにした点が、既成の概念を超えているわけで。そこが、いいところ・・・。これは遊びです。現世を楽しく過ごす、人間に必要なエンタメ。付帯情報が大事なのであって、お互いそこまで真剣じゃない・・・

――そういう退廃したフィーリングは、いったいどこから来たのですか?

原因となったのは、三大画家タイプです。ダダ運動タイプは何と、ピカソら三大画家タイプが発端で生まれました。「ゴッホやセザンヌ、三大画家たちにどえらい個性があるのはわかる。だが変だぞ。似た絵を他人が作っても、なぜ売れないのか?」という素朴な疑問が最初に起きます。

――そりゃあ、いくら作品がそっくりでも、別人が作れば価値がなくて当然ですが?

その模範回答が、そのままダダ運動タイプの核心です。別人が作れば価値がなく、同じ人なら価値がある・・・。これ実は、能力主義のふりをしてネームの同一性にすぎない・・・。ピカソ、ミロ、ダリなど個性の人でも、付帯情報で値がつく面がやっぱりあります。それも、かなり強く。3人にも駄作はあるのに、名前を出せば値段がはね上がるのもそう。別名を名乗ると誰も買わない。突き詰めると、個性を買う時でさえ人はブランド化したサインに大金を払っているわけです。ここに目をつけたのがダダ運動タイプです。

――そういう因果だったのですか?

個性があり余る天才でさえ、ネームバリュー効果が半分は支えて社会から認知されます。ならば半分といわず、全部をネームバリューにしても成り立つ、という飛躍は当然出てくるでしょう。「世の中、芸術的価値なんてわからない人ばかりで、個性なんかあってもなくても反応はいっしょ。猫に小判」というわけ。「どうせ客は、名前がお目当てでしょ」と。「評論家や画商も、どうせ名前をみて行動してるんでしょ」と彼ら。

――でも名前を得るために、最初だけは個性を出す必要がありませんか?

そうする人は、三大画家タイプに向かいます。ダダ運動タイプは、無名の時からダダ運動タイプ。このようにアートの価値を情報化する思想が、ダダ運動タイプの反芸術主義です。ブランドを突出させて、「価値があるという定義」を流通させていく・・・。このタイプの作家の考えは、概して個性に否定的です。「人の個性って何なの?、美術に本当に必要不可欠なの?」という思いを胸に刻んで。

――ネームバリュー戦略以外にも、今の現代美術には様々なトレンドがありますが?

現代美術に絶大な影響を与えたのは、グラフィックデザインです。

――デザインは、芸術とどう違うのですか?

デザインはファッションです。「今これが新しい」「今一番しっくりくる」のトレンド。時流に合わせ表面をこまめに刷新する性質があり、その表面が価値です。作品本体に深いものはいらず、深さが欲しければ論文でコントロールする。そこが芸術との差。芸術は、ファッションではない。作品本体に深いものを込め、時代が変われど別内容に転じずに、古代から同じ内容を語り続けるのが芸術。旬がない。対するデザインは、本質的に反芸術なのです。

――そうしたデザインの性格が、一番よく出たアートはどれですか?

缶ジュースのプリントです。いや、缶はアート物とは違いますが、キャンディーポップなビジュアル作品が急増しました。自販機で見る缶が、「記号性」「日常性」「無国籍」など今風美術のキーワードに重なります。それら反芸術は、私たちの生活感や人生観に合います。理由は、文明国の暮らしは芸術的ではなく、デザイン的だから。ピカソよりもキューピーの方が私たちはピンとくるし、少なくともわかる・・・

――商品デザイン的アートと、便器のアートは見た目が大違いなのに、なぜまとめて考えるのですか?

ともにアンチ個性であり、三大画家タイプの裏返しの価値を求めるからです。三大画家タイプは近代画に限らず、実は古今東西のほぼ全アートが該当します。これを裏返したアンチ個性主義こそが例外的で、数学でいう実数に対する虚数のような立場なのです。

――そこですが、情報アートも実は昔からあって、淘汰されたから古典がないのではありませんか?

昔も、人気俳優がかいた凡画が絵師よりヒットするなどはあったはず。でもあえて凡を市場にねじ込む商戦までは、昔はなかったと私は考えます。どちらにしても今、20世紀以降の西欧型美術にのみ、ダダ運動タイプが存在します。例えば日本画にダダ運動タイプはありません。

――三大画家タイプの方は、衰退して消えたのですか?

個性主義が年がら年中、少人数で小規模なのは当たり前で、にわかづくりや外注で増やせないからです。これつまり、三大画家タイプだけでは層が薄すぎて、アート界全体のマーケットを十分大きくできない問題が実はあるのです。

――三大画家タイプとダダ運動タイプを、両方やる画家はいますか?

前者は後者も試したりします。ピカソとミロは、ガラクタを組み合わせたオブジェも作りました。ダリは他人に絵をかかせて、ダリのサインを書きました。やがてダリサインを書いた白紙を売り出し、その後ダリサインを書く権利も売りました。そこに描かれたペン画や息で吹いたインクは、ダリサインの権利を買った画家たちの画風で、ダリ画風とは関係しません。

――ダリのそれは、ダダ運動タイプどころか、詐欺の犯罪じゃないのですか?

これが1980年代中頃に、ニュースやテレビ特番、週刊誌で明るみに出た、有名な「ダリの贋作事件」です。名前買いで動く美術界への皮肉半分、金欲半分で、真のイカサマ詐欺でもダリは世界をリード。本人が見てもいないダリ名義作を、家一軒の金額で買う客は日本にもいました。客はサインを追い求める以外に方法を持たないと見込んだダダ運動タイプのねらいどおりに、実社会は動いたのです。

――本物の詐欺はともかくとして、新美術のイカサマ詐欺とは今後どうつき合うべきですか?

三大画家タイプか、ダダ運動タイプか、作品を見分ける鑑賞法がコツです。着目点は一貫性の有無。2種類を判別すれば、鑑賞は充実します。いや絶対おもしろい。突飛さに目を奪われる現代美術の中に、実はものすごく違う二つの軸があって、互いに押し引きする関係がみえてきます。

――現代美術が大きく2種類に分かれているなんて、考えたこともなかったですね?

現代美術には、個性を強める芸術ムーブメントと、個性をなくす反芸術ムーブメントがあります。後者は、すぐそれとわかるポップアートやインスターレーション以外にも、バリエーションが多く存在します。美術家の生きる道が、個性主義とアンチ個性主義の二手に分かれ、支持者も二手。

――ガチャガチャでわけのわからない現代美術も、2つの価値観の連立だと知れば興味が出ますね?

『ゲルニカ』と『古タイヤ積み上げ』の2種類。前衛の意味は2種類あり、衝撃も2種類が異なります。わけのわからなさも2種類、イカサマ詐欺への苦情も2種類。そして現代美術を壊すいたずらの動機も、2種類。個性が憎い場合と、個性がないやつが売れて憎い場合の、2種類。ちなみに、現代美術論がわかりにくい一因もここで、「個性作品」と「アンチ個性作品」の2種類があるのに、分けずに語るからです。

現代美術とCGアートの疑問と謎 もくじへ 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ
電子美術館へ戻る 電子美術館へ戻る
Copyright(C)2005 21SEIKI KOKUSAI CHIHO TOSHI BIJUTSU BUNKA SOZO IKUSEI KASSEIKA KENKYUKAI. All Rights Reserved.