| 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ | |
66 三大画家タイプ、現代美術の変人たち |
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2011/9/1 |
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――三大画家タイプが、鑑賞者に一番理解されにくい点は、どこですか? かいたものと伝えたいものが、食い違っている点です。食い違い、あるいはコンテクストの次元違いがあること自体は、正常な現象です。食い違いは人類の芸術の必要条件なわけで。しかし、食い違いがあるという事実への認識は、総じて不足しています。 |
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――具体的には、どういう食い違いですか? 例えばピカソは画面で妻の顔を壊し、しかし壊れた妻を説明報告したいのではなくて、絵全体に濃く影差す圧を他人にドーンと投げ与えたいのです。妻のキャラはどうでもいい話。ところが鑑賞者は、妻の顔が青色に描かれているから、体調不良の頃だなどと直裁的に読んで、そこを突破口に芸術性を探ろうとします。結局、鑑賞に失敗してしまうのです。 |
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――美術の本を見ても、解説に力が入っているのは細かい部分ですからね? プロの美術解説でも作品全体の圧を見過ごして、しきりに細部からメッセージを拾おうと、写真判定的にこま切れ分析に走っています。絵を報道写真や鑑識写真とみるのに神経が集中して。だからか、作品全体を語る言葉はいつも意外なほどボキャ貧です。 |
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――どうでもいい細かい部分は、例えばどういう部分ですか? 俗流の細部解説で多いのは、マチエール談義です。絵の具の塗り厚みを画家の情念表現と受け取って、そこに精神力や生命力を重ね合わせるもの。骨董品愛好的な恋愛感情の次元で絵をみてしまう。全貌として何がかいてあるかはそっちのけで、画材の肌ざわりの迫力に入れ込む、今日よくある鑑賞法です。 |
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――細部へ細部へと人の意識が向く原因は、何ですかね? 美術をざっくり大きくとらえる目を人が喪失してきた背景は、芸術性の乏しい先進国の生活感だと思います。「毎日が単調なだけ」「生きていてつまんない」的な気分が、芸術をくむ力の衰えと関係ありだと推測します。何というか、創造性がいらない受動的な人生で、俗世間の摩擦以外に苦難なく生存できる環境がつくった、精神の平坦化というか。 |
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――田舎で満天の星を見て、ツブツブを気持ち悪がるヤワな都会人、といった感じですか? 私たちは大局や本質よりも、ディテールに気がいくよう育てられているのかも。芸術の意味が、しばしば工芸品の職人的器用さへ曲解されるのも、根は私たちの平板で抑揚のない暮らしだと思います。堕落とはいいませんが、生活の彫りが浅いのです。それも今に始まったことではなく、古代に文明が整備されると、美術は早い時点でキャラの立たない、引いた作風に移っていました。 |
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――そうすると三大画家タイプが普通に絵をかいても、もう人とすれ違うばかりですね? そこに変人たるゆえんがあります。そもそも芸術がわからなくて、しかたなく名前で判断する世間があるわけで、しかし作者は能力主義のつもりで、形と色の個性を発信し続けて、言葉説明やコンセプトはオマケ・・・。この平気ぶりがまた理解を超えています。実は現代に限りません。20世紀に限らず、西欧ルネサンスのボッティチェリ(1444生)、ボッス(1450生)、ダ・ヴィンチ(1452生)などの面々も、共通した齟齬に直面していました。 |
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――個性というのは、美術で一番大事なキーワードなのですか? もちろんですが、過去には一番でなかったかも知れません。古代人が差異化目的で個性追求に熱心だったかが、はっきりしないからです。古代作品を見た感じは、材料を駆使して彫りの深い表現を求めただけで、ギラギラした個性競争の痕跡はみえません。 |
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――時代が、だんだん個性ギラギラに変わっていったのですか? 西欧ルネサンス以降のノロノロ変化が、20世紀にガクンと急変して、美術は個性コンテストに様変わりしました。そうなった直接原因はカメラの発達です。ビジュアル記録は新興の写真が受け持って、絵画は写真と競合しない領域へ転進するのです。 |
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――昔のような美的な絵は、意味がなくなりますね? そこで絵が新たに始めた変形と造形が、いわゆる表現主義です。19世紀末以降のエコール・ド・パリの画家は、全員が個性志向の表現主義に相当します。荒削りに描いたり、目を大きくしたり、首を伸ばしたりも始まります。 |
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――表現主義は印象派あたりから、すでに目立ってきていましたね? 表現主義の走りはムンクの『叫び』(1893)とされますが、現実にない形や色を描く「我が表現」は、400歳年上のボッスやダ・ヴィンチも該当し、さらに昔の中世の画家たちもやっています。逆に歴史上で表現主義でない絵画というと、18世紀西欧の写真リアリズムや、20世紀のスーパーリアリズムぐらいです。日本画も、実質は表現主義ばかり。 |
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――表現主義というぐらいで、表現された絵図が主張だと単純に受け取られてしまいませんか? それがピカソの生涯の悩みでした。視覚を超える情報を伝えようとしたのに、視覚情報で受け取られて話が小さくされたからです。妻の顔を赤でかくか青でかくかで、モデルの健康状態と受け取って全体を見ない鑑賞法に、不満を持ち続けました。売れても、すれ違いは自覚していたのです。 |
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――それにしても、あのピカソが起点となって美術が2つに分かれたとは驚きですが? 西欧人に理解不能だった抽象を、このスペイン出身画家が始めて以来、西欧美術は激しく動転しパニックを起こしていたのです。「わからない」へのリアクションやケア自体をモチーフにする論点ずらしもまた、パニック反応のひとつでした。 |
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――美術への無理解は、三大画家タイプとダダ運動タイプで同質なのですか? 「わけがわからない美術」といっても、モネの『すいれん』と『便器アート』は次元が違います。言葉で釣り合わせようとして、便器アートの弁護に印象派を持ち出す論をよくみます。「君らは便器を批判するが、昔は印象派も批判された」に続けて、「だから印象派と同様に、便器も芸術だ・・・」。 |
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――みんな、その論理飛躍についていけないんですよね? 私は、二つを分けた方がよいと思います。私なら『便器アート』を、「これも芸術」とはいわず「これは反芸術」といいます。便器アートの特異性をチャラにしたくないからです。便器が権威側に入ると、本来のスキャンダル性とエスプリが薄まって、拍子抜けになってしまうオチが予想できるのです。 |
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――そのあたりは、難しい話になりそうですが? 現実問題として、「便器も芸術です」とやったら、芸術が何を指すのか見当もつかない人がどっと増えるでしょう。それはアート界が信用を失う方向です。よくわからないものを雑に流す対応はいけません。 |
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――絵がわかるわからないの問題は、21世紀でもしっかりついて回りますね? キューピーや古タイヤだと、「デッサンが狂っている」「何を描写したのかわからない」「良き人柄が感じられない」などの、反発はもう出てきません。論点がずれているから、人はあきらめてくれます。「会場に子どもを集め、その笑顔が僕のアートです」なんてのも同様で、論点が違えば誰もノーと食ってかかりません。しかし今から絵の具で絵をかくと、18世紀の論点もそこにあるから、18世紀的な反発が復活してくるのです。変人でないと、その反発に負けてしまうわけで。 |
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――それも理由で、三大画家タイプは立場的に微妙になった気もしますが? 三大画家タイプに、美術ファンの第一声は割れます。古典ファンは、意味不明の形に「うわー難しい」。ダダ運動タイプファンは、伝統的画材に「うわー古くさい」。進みすぎ批判と、遅れすぎ批判に割れるのです。 |
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――三大画家タイプの方が、謎が解けずに尾を引く感じはありますが? 抽象の三大画家タイプは、具象のダダ運動タイプより、ずっとわけがわかりません。『泣く女』は、30年後の『マリリン・モンローの顔』よりも意味不明でしょう。しかし18世紀美学論でも言及できる古典画材だけに、人は『泣く女』に石を投げてきます。わけがわからないぞと。『モンロー』には誰も石を投げません。わけがわかるから。三大画家タイプはダダ運動タイプより難解で、社会に浸透しにくいことがわかります。 |
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――言われてみれば、『モンローの顔』をけしからんと叩く批判は見ませんね? 逆に、三大画家タイプはまあ驚くやら腹が立つやら、人畜有害でトラウマ誘発、関連トラブルは相当です。背筋が寒くなる絵、悪魔に魂を売ったかの絵、精神に何かが起きたかの絵は、ダダ運動タイプにはないでしょう。人を戦慄させる恐いテンションは、三大画家タイプに特有です。呪われた絵の都市伝説も、作品が不穏なせいです。 |
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――同じインパクトでも、ダダ運動タイプのあっち系インパクトとは違いますね? 後進がかけば、ピカソのインパクトに遠く及ばなかった。そこで土俵を出て場外乱闘に持ち込んだ。それがダダ運動タイプの素性の一面です。表向きは一次大戦での厭世が発端で、科学時代、社会混乱、アナーキーにからめ、しかし内実は芸術の論点ずらしによる主導権争奪です。客を驚かせ、あぜんとさせること自体が目的化していく流れです。 |
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――三大画家タイプの方は、人をあぜんとさせる目的ではないのですか? 少し違うのかも。かいたものと伝えたいものの食い違いを、わからせる目的は常にあるでしょう。しかし「人類がまだ知らない美術」とは、あっと驚く逆立ちアイデアとは限りません。例えばピカソより少ない筆で、同じ濃い味を出すのもイノベーションであり、創造です。この点で、現代美術ファンは論点の逸脱や概念の超越に期待して、ハイに浮き足立っています。三大画家タイプはローのまま、あくまでも形と色の基本要素で人類に語ります。芸術の意味を太古と結びつないで、人類が美術として認めていないものを新作します。 |
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