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電子美術館のQ&A

68 ヘレン・ケラーと抽象彫刻の世界

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2011/10/16

――美術がわからない人の多さは、構造的なものですか?

わからない不満がこれほど充満した表現分野は、確かに他にありません。音楽も映画も落語も、わからないことに意義を見出しません。ところが美術だけは、三大画家タイプもダダ運動タイプも、わからない作品ほど長寿命で魅惑的です。

――作品鑑賞で、全くわからなかった体験はありますか?

言っておいて何ですが、映画にわからない筋書きがありました。例えば日本映画の、二次大戦やベトナム戦争に重ねた暗喩表現もそう。登場人物の行動が何かおかしい・・・。戦争体験で心が歪んでおかしくなったシナリオですが、私には伝わりにくかったのです。

――戦時下の空気を知る人のみ理解できる映画が、昭和にはけっこうありましたね?

創作物とは違いますが、わからない体験で印象に残ったのは、ある学習問題集です。小学1年の市販ドリルに、解けない質問がありました。

――どういう質問ですか?

「わたしは誰でしょう」で始まります。「わたしは役にたてば、すこし体が小さくなります。たいてい白くて、すこしぶよぶよしています。机の上にいる時も、いない時もあります」というような質問でした。

――その質問が、どうかしたのですか?

何が何だか、さっぱりわかりません。1問目で止まり2問目も同様で。家族が来て「こんな簡単な問題もわからないのか」と言います。私は焦って考えますが、前へ進みません。

――結局、わからないままになったのですか?

家族はいよいよ私をからかう言葉を投げてきます。そうして時間がたつうちに、突然氷が溶けてゆるむようにフッとわかり、答を自分で出しました。

――簡単な答なのに、なぜさっぱりだったのですか?

実はこれがなかなか解けなかったことを、私自身不思議に思ったのです。まだ小学生の当時、何度も振り返って考え、だから今もよく覚えています。私がわからなかったのは答ではありません。質問がわからなかったのです。

――読めない字や、難しい語があったのですか?

何を問われているか、いったい何の話なのかが読み取れませんでした。文章が質問になっていない感じさえ受けたのです。「これのどこが問題なの?」と。

――難しく考え過ぎたのでしょうね?

正解は「けしごむ」ですが、そういう話だとは・・・。質問は要するに「ある物品の特徴を書いています。それを読んで物品が何なのか、名称を書いてください」というクイズだったのです。そうだと知れば早く解けたのに。

――学校で教える勉強とは、全然違う問題ですが?

「そういうクイズですよ」とはどこにもありません。小学校のどの科目にもない質問だったし、フワフワ浮いた調子は他のドリルでも見たことがありません。

――頭が違う方向にはたらいたわけですか?

後で、何をどう勘違いしたかを思い出しても、突きとめられていません。目が活字を上滑りして、脳内が反応しない感じでした。解決した瞬間は、「答がわかった」ではなく、「質問の意味がわかった」でした。「何だ、そういうことをたずねていたのか?」「ああ、そういう話か?」と。

――「そういう意味だったの?」という体験は、誰にでもありますが?

行き詰まった時間帯が終わると、類似した2問目、3問目はスラスラ解けました。脳内にいったん思考回路ができたら、簡単すぎてやる気もなくして。この出来事以来、私は他人が何をどう勘違いしても笑わない人間になりました。勘違いを起こす脳のはたらきに興味を持ち、誤解をまねく原因や、封じる手だてを考える習慣がついて。心理学や人間工学に子ども時代から入れ込んだのも、たぶんこの影響です。

――勘違いに気づく時の頭のはたらきは、微妙ですね?

ヘレン・ケラー(1880−1968)が言葉をめぐって突破した、あのエピソードを連想します。

――あれですよね、ヘレン・ケラーが水の意味を初めてわかった時の?

アニー・サリバンが、目と耳が使えないヘレン・ケラーに単語を伝えても、ヘレンは反応しない。そこでアニーはヘレンを井戸へ連れ、手に水をかけながら、反対の手指に「water」と示す。両手に起きた現象の関係をヘレンは突然ひらめき、言葉を理解する・・・。というような物語でした。

――その時ヘレン・ケラーは、「ウォーター」と声をあげたとされますが?

それも含め、演劇台本上の創作です。ヘレンは発音練習の前だから、言葉は言えません。いきさつはこうです。ヘレンが物に名前があることを知ったのは、おもちゃの人形を通してです。井戸水よりも前の話で、アニーが来た翌日という。1887年3月4日のこと。

――冷たい井戸水を通して、言葉の存在や発音を知った話ではなかったのですか?

あの事件は、ヘレンがコップと水を混同していたことが発端です。アニーはヘレンに空のコップを持たせ、井戸水をついで「water」と指文字を伝えました。ヘレンは呆然と立ったままコップを落とし、考え込みます。コップが「water」だとてっきり思っていた誤解を、ヘレンは解くのです。

――それはアニー・サリバンとヘレン・ケラーにとって、画期的な事件だったのですか?

そうでもなく、ヘレンが外界を把握する過程の一コマです。固体に液体を入れた複合状態に大ざっぱなヘレンは、これを機に分けるよう心がけたでしょう。ところで複合物の名称の誤用は、実は私たちにもよくあります。古くは「電池」、今は「カレールー」もそう。(編集注:「電池」や「カレールー」は内部の一部分で、本来は「懐中電灯」と「カレーソース」)。

――学習ドリルと、ヘレン・ケラーのエピソードを参考にして、「美術わからない症候群」を解決できませんか?

絵がわからない人は、「絵は、そういう話をしていたのか?」状態の可能性があります。あるいはヘレン・ケラーのケースと似た、近接する別物の混同も多いでしょう。

――ヘレン・ケラーと違って、美術では出回る情報に常に引っ張られますが?

美術で一番多いのは、写実デッサンが芸術の核心だとてっきり思う人間カメラ説で、絵画を目のレンズが写した撮影物や、説明用のさし絵とみなして生じる限界です。写実でない美術は西欧以外に多くあり、それらが美術作品ではなく博物資料として扱われる一因もこの壁です。今私たちにわかる美術は、とても小さい範囲に限られるのです。

――美術では、抽象思考の壁は厳然とありますね?

抽象の壁には、おそらくヘレン・ケラーもぶつかったでしょう。「水」や「へちま」なら簡単でも、無形の「時刻表」とか「大統領選挙」、観念にすぎない「正義」や「信仰」となれば、説明はガクンと難しくなります。家庭教師のアニー・サリバンが「19世紀の奇跡」「ミラクル」と呼ばれたのは、後の発声訓練での献身が大きいのですが、抽象名詞が増えていく段階でも苦心があったでしょう。

――美術鑑賞のガイド役にも、アニー・サリバンが必要ですね?

一部の画家は、鑑賞者の手のコップに水をつぐように作品を作り、しかしゴッホの時と同じで見過ごされます。そこで評論や解説書が家庭教師役ですが、それらも実は絵が訴える「何か」に迫りはしません。たいていは、エピソードやウンチクにそれがち。例えば「美術の理解のために、当時の社会背景を知りましょう」というアドバイスは、「理解」の意味がそもそも違います。社会背景をつたって理屈で納得はできても、芸術の体感はその次元でないから。作品の裏口から回るのではなく、正面からぶつかれる力が皆欲しいのに。

――「美術なんて簡単だよ」というハウツー本は、読むと難解なのですか?

簡単をうたう本は、たいてい簡単です。しかし腑に落ちないのは核心へ触れない点で、例えば「芸術は個性」の一言がありません。美術を賛美し、人が生きている素晴らしさへ結びつけ昇華させた感動の書に、個性の語がついに出現しなかったりします。素晴らしい美術は素晴らしいとほめちぎっても、読者は煮え切らないわけで。「要は変わった絵が芸術なんですよ」と一言あれば読者は次に進めるのに、どの本もそこには触れないから、読後も霧が晴れずにいて・・・

――なぜ個性の語を、美術の本では書きにくいのですか?

秩序への配慮もあります。「強い個性は良くない。個性がないかに見えるほど、自分を表に出さずに、態度がひかえめな作品こそが、真に崇高な芸術なのだ」「目立つ作品はだめ」という、古典系の意向がバックにあります。誰だって、自分が作れる範囲内に芸術の定義を設定したいし、自分を超える者を食い止めたい心理もあるわけで。

――そりゃまあ、そうですね?

美術関連の本を買う客は大半が美術家だから、アンタッチャブルな部分が出ます。この話は、私が美術書の編集者から直接聞きました。

――美術の入門書にさえ、しがらみの制約がからむのですか?

「個性が芸術です。『ゲルニカ』は個性のかたまりです。だからそれは至高の芸術です」と、手に井戸水をかけるようにスムーズには言えない。話はそれて、「馬は民衆を意味し、牛は権力を意味し・・・」とやる。別の本を読むと、「馬の方が権力で、牛の方が民衆だと、逆の解釈もあります」とウンチクのウンチク。ガイド本を読む方が、作品を見るより気をつかう感じ。まあ本で美術を勉強するなら、何冊も読んで補わないと俗説にただ流されるでしょう。

――特定の言葉表現を避けるのは、誰でもやりませんか?

例えば「芸術は心が大事だ」を、私は単発では言いません。360度どの意味にも取れるので、共通認識にならないからです。コミュニケーションをすれ違わせる、この手のフリーサイズ表現は、アニー・サリバンがヘレン・ケラーと会った当初は多かったはず。しかしコップと水以降、アニーはアンタッチャブルゾーンを縮小したでしょう。複雑系の話を可能にするために。例えば、真実はたくさんあるとか、最愛のものが最悪である逆説とか、恋の高まりは何に起因するかとか。

――ところでヘレン・ケラーには、現代美術がわかったのですか?

彫刻は形状と質感から全体像をつかめたでしょう。人の口に手を当てアルファベットを読むように、得意の触覚がソース源だったはず。例えば私たちが彫刻を見る時、きめのアングルの写真構図で考えます。特定の向きを彫刻の顔として。仮に人体を彫刻物とみなせば人物画がそうなっていて、三次元彫刻も二次元的にとらえる私たち。一方ヘレンにとっての彫刻は、空間を埋める三次元の広がりだったでしょう。

――ヘレン・ケラーが浮かべた彫刻のイメージは、見るイメージとはかなり違ったのでしょうね?

現代彫刻はモチーフの伝達ではなく、相手に何かを感じ考えさせる方向です。その何かを決めないで、「パズルの最後のピースは鑑賞者がはめる」という趣向です。クイズのようで違う。この思想はヘレンに好都合だったでしょう。1歳半から目が不自由なヘレンに、具象と抽象の境界は意味がなく、手にする物全てが具体的で抽象的だったでしょう。

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