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電子美術館のQ&A

73 ボサノヴァの影と、ゴッホ『ひまわり』の陰影

二十一世紀国際地方都市美術文化創造育成活性化研究会
2011/12/2

――前に気になった話題で、絵画にもぐり込む陰影の話がありましたが?

ゴッホの『ひまわり』といえば、花びんの花です。一方、花びんがない『ひまわり』も2点あります。茎で切った花を水場に転がした構図です。その『切り花のひまわり』は、花びんの絵に比べ抜きん出た内容を持っています。ゴッホのベスト3に、2点とも入りそうなぐらい。

――どんな感じの絵ですか?

一応は明るく鮮やかでも、濃い陰影を帯びているのです。はしゃぎぎみの花びらでありながら、全体を不吉などす黒いかげりが覆って、異様にテンションが高い感じ。これぞ人類が届いた19世紀最高の芸術絵画・・・。ところが時期は不思議なことに、絵がエキサイトして濃密になったアルル時代ではなく、その前のパリ時代です。黄色の鮮やかさで目を引いて感心させる、あの『ひまわり』ではありません。

――誰が見ても、素晴らしい絵ですか?

そこがはっきり分かれます。この手の陰影を感じずケロッとした人がいて、一方で陰影作品をやっきにはねのける人も。大好きな人、何も感じない人、大嫌いな人。魔力的な陰影への反応が、瞬時に3つに分かれます。いい意味で鳥肌立つ人、不感症、悪い意味で鳥肌立つ人。この分裂が芸術の根に潜むカギと思われます。

――『切り花のひまわり』は、暗く見えるのですか?

レンブラントやゴヤの暗さはないし、写真のローキーとも違います。よく見ると、文字どおり画中に影がかき込まれていて。実はこんな感じの作品が、音楽にもあります。陰影の濃い曲が、前から気になっていました。

――ラジオから影のある曲が流れて気にとまることは、時々ありますよね?

影差す曲がやたら多いのはブラジル音楽で、代表はボサノヴァです。ボサノヴァは1958年頃に突然新しくつくられたブラジル製ワールドミュージックで、サンバとジャズを混ぜた説以外に、色々な由来が言われています。

――ボサノヴァは日本でも人気で、よく売れていますが?

日本でのボサノヴァ人気は、「涼しい音楽」の一面が理由です。高原のさわやかな風を思わせ、梅雨から初夏にかけ毎年リクエスト特集されるぐらいで。涼しさは主に2つの手法のせいで、ひとつはヴィブラートのないヴォーカル、もうひとつはスネアドラムのリムショットです。

――カッ、カッ、カッ、って感じのリズムですね?

カッ、カッ、ッカ、ッカ、ッカ、カッ、カッ、ッカ、という具合にリズムの裏を取る変化と、小節をまたいで音を割り振るシンコペーションで緊張感を出します。歌は声を震わせず、真っ直ぐ淡々と進む感じ。音程をぶらさない一段上の歌唱ですが、結果の涼しさも、ある程度は陰影に関わっています。

――もしかしてメインはあれですか、サウダージとか言われている?

「サウダージ」とは、ブラジル音楽のスローバラードに感じる郷愁です。よくボサノヴァの説明に「けだるい」の語が使われ、これがサウダージの成分です。別にだるくはなく、各国の曲と比べてもクールでシャキッとした曲調が目立ちます。サウダージはフランス語のアンニュイより温度感は低めで、やはり陰影には反映しますが、イコールではありません。

――陰影が強めのミュージシャンを聴けば、話が早そうですが?

ブラジルの作曲家で、エドゥ・ロボやトニーニョ・オルタをあげておきます。他にも多くのミュージシャンが、当たり前のように曲に陰影をつけます。アントニオ・カルロス・ジョビンやミルトン・ナシメントなどの作曲家、セルジオ・メンデスなどのアレンジャーも皆、影差す曲づくりです。21世紀の新人ミュージシャンも共通して。

――もの悲しいとか、ほの暗いのとは、また別なのですね?

いわゆるセンチメンタルやペーソスとは違います。ペーソスは哀愁+沈静ですが、陰影は孤独+躍動なので、根本的に別。陰影曲はマイナー(短調)でなくむしろメジャー(長調)で、明るい中で部分的にかげります。天気でいえば暗雲の雲間から日光がパーッと差して、地上を照らした感じ。日本には伝統的にこの手の曲調は少なく、ピンときにくいかも。例えばクラシック畑で山本直純の『男はつらいよ』に、ペーソスはあって陰影はありません。ボサノヴァ由来のJポップも、陰影をペーソスに取り替えた曲づくりが中心です。

――ブラジル音楽の陰影をつくる要素は、いったい何なのですか?

楽典的には不協和な和音です。ジャズから借りた不協和音の重ね方に妙があって、オブリガート1個にも影に回り込む音階が選ばれます。

――陰影の正体は、つまりはジャズコードですか?

メロディーよりハーモニーが支配するのは確かで、ブラジル流の不協和音があるようです。不協和音自体は、ストラビンスキーやショスタコービチ、バルトークなど、西洋の近代クラシックにも多く聴けます。例えば半音ずらして重ねる怪奇表現とか。しかしそこにロシア的手法、フランス的、あるいはインド的など差があって、ブラジル的は都会感覚です。

――ブラジル音楽は、転調の目まぐるしさも特徴ですよね?

日本の歌謡曲にはない、突然ガクッと変わるハーモニーの走らせ方があって、その開発も腕の見せどころです。

――ブラジル音楽は、広く支持されていますか?

短い年月で世界制覇しました。アメリカでは一部ニューソウルや後期フュージョンジャズにもブラジルテイストがあって、ヨーロッパではフレンチポップスやイギリスのユーロビートなども同様。シャカシャカ鳴るラテン楽器とリムショットが「ブラジル来たな」の合図で、やがて陰影の和音が流れます。

――そして、そういう曲調を頭から嫌う人もいるのですね?

ラジオ番組で、「アルバムから何曲かかけます」と言って、影差さない曲のみ選ぶDJがいるし、「1曲かけます」と言って唯一の影差す曲をずばり選ぶDJもいて、気になります。アメリカのヒットチャートでは、カントリー系とブラジル系のファンが別れているようです。日本にいる私にはカントリー系はのんびり抑揚のない田園情緒で、ブラジル系はハッシと躍動する都会情緒に聴こえます。

――田園か都会かで、人類のフィーリングが分かれるのですか?

「変化」「動き」の軸も考えられます。ブラジル音楽は変化が最も目まぐるしい部類。その逆はどれかといえば、例えばイージーリスニング・ジャンルの環境音楽がそう。一曲が長くて平板で、悠長で彫りが浅いタイプです。俗にヒーリング系と呼ばれ、陰影も変化もなし。昨日も今日も明日も変わりなく、ゆっくり過ぎる世界観です。

――彫りの深い影差す動的な曲と、平板で影がない静的な曲に、人の関心が分かれるのですね?

劇的な変動と、温順な沈静。その対比が美術作品にもあって、「好き」「感じない」「嫌い」にやはり分かれます。人類の中に、陰影と変化をめぐる趣味の違いと対立があるようで。

――だとしても、陰影と変化が多いほど芸術的とみる理由は何ですか?

歴史的な美術は、陰影が濃くて変化に富む作品が選ばれる現実が根拠です。また一画家の最高作も、陰影と変化で選ばれています。悠長さが当たった画家でさえ、代表作が一番複雑で変化が多い絵にされていたりして。

――なぜ歴史は、陰影と変化を選ぶのですか?

そっちが圧倒的に少ないからでしょう。とりあえず絵をかけば、陰影と変化がない作品にとどまります。そうした普通に起きる傾向を、歴史があえて選ぶはずもないわけで・・・

――美術以外でも、淘汰の法則はそうなのですか?

クラシックにはメロディー、ハーモニーとも平坦な曲が実はたくさんあって短命です。影と変化がないと、忘れられる・・・。とすると今、ゴッホ作品の人気序列はまだ陰影と変化順でないから、将来動くと考えられます。「素晴らしい天才画家」などの美辞称賛は、19世紀の写実至上をまだ続けた感覚で、ゴッホになびいているフシがあるのです。

――陰影と芸術の関係は、どこで気づいたのですか?

昔あった音楽体験を思い出します。私はある時フォークソングのコードを、フラメンコ風ジャズコードに置き換えました。聴いた人が「そんな芸術的なのはイヤだよ」と反応。その人は起伏のあるコードを芸術的と感じ、嫌ったのです。何でもない日常体験ですが、これが後にクローズアップされます。

――表現の陰影が嫌がられる理由は、何ですかね?

陰影は死の暗喩といえるから、死を遠ざける反応でしょう。『切り花のひまわり』の影も、何となく死相を感じさせます。ただし彼が意図的に花の命の短さや、独自の死生観を表したというより、筆の偶然で2枚試した程度だと思います。ここで画家を買いかぶってはいけません。2枚の絵が今、肯定、無関心、否定と、踏み絵のごときになったのです。

――でも死をテーマにした美術作品なんて、普通に出回っていませんか?

死がテーマの悲劇作品は、この話とは別です。アンハッピー作品の話ではありません。ハッピーとアンハッピーが等しく並んで、互いに食い合って混濁することで、強い芸術性を帯びる現象が焦点です。死の影が生を持ち上げる基礎部としてはたらくのです。これを触媒や隠し味といっていいかはわかりません。陰影が好きな人は、悲痛に沈む死の影ではなく、生の高揚感を受け取っています。影差すことでワクワク感が高まるのです。ボサノヴァ音楽の秘密と同じで。

――ゴッホが『切り花のひまわり』を、2枚でやめたのはなぜですか?

彼が芸術の意味をつかんでいなかったからだと思います。わかって、ゆうゆうと作品をコントロールした同年齢時のピカソと、最も違う点がそこかも。ゴッホは『切り花のひまわり』を会心作と思わず、だから作り続けなかった・・・。陰影が薄れたきれい系『花びんのひまわり』を十八番とした点が、彼の限界といえます。が、やめてしまっても2点でも残したのは快挙で、ゴッホに凡寄りを感じるシビアな向きも、この2点には納得するでしょう。

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