| 現代美術とCGアートの謎と疑問に答えるQ&A もくじ | |
77 タイムマシンでゴッホを助けられるか |
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2012/1/28 |
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――有名作品が作られた時代に行って、当時を体験したいと思いませんか? タイムマシンに乗って、122年前の1890年のフランスへ行けたら、確かに夢のようです。捨てられかけのゴッホの絵が安く買えます。中古車1台分の資金で、高級外車の新車何十万台分もの資産が手に入るから。それでも、全枚数の10分の1程度。善は急げで、さっそく行きましょう。 |
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――行きますが、スターのゴッホに会えるのに、ただ作品を買って終わるのですか? 存命中に支援したら、彼はつぶれるからです。4年さかのぼった1886年へ行って、ゴッホのパトロンやコレクターとなって買い上げたとします。するとゴッホはシカトから解放され、楽な暮らしに変わります。闘う相手はいなくなるので、画風は行くところまで行くのをやめてしまい、ラスト2年の傑出もなくなり、あだ花に仲間入りしてしまうのです。 |
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――あくまでも、不遇が生んだゴッホの傑作だったわけですか? 創造をやれば過度に抵抗が高まり、傑作が生まれた。その増幅スパイラルによるエスカレートが、ゴッホに起きていたわけです。ゴッホの絵を改めてよく見ても、うまさ、巧みさ、スマートさはやっぱりありません。どこまでも稚拙で不器用。ひ弱っぽいのに骨がある得体の知れなさで。 |
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――現代人はそこを曲げて、ゴッホは実はうまいのだと言い出したりしますよね? 上手な絵が歴史に残るという先入観と整合させようと、物語をつくってしまうわけです。壊れたカメラであるゴッホすらも、人間カメラ至上に当てはめて。「ゴッホのデッサンも捨てたもんじゃないわい」などと・・・。デッサンを捨てているから、ゴッホはユニークなわけで。どこかで次のような真剣な話を読みました。「これほど素晴らしい絵が売れなかったのは、素晴らしさを知るゴッホ本人が手放すのを拒んだからだ」と。公募で全戦全敗した者にそんな史実があるわけもなく、引きがあればゴッホが苦悩した原因がないわけで。現実は、見るからにつまらない絵を誰も買わなかっただけです。 |
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――そうした認識を持ってゴッホの時代へ行くなら、いやな予感がしますが? 現代の人間カメラ信奉者がタイムマシンに乗ってゴッホの時代に降り立つと、現地でゴッホを見損なうかも知れません。向こうの空気に染まって、別の画家の技量に目を奪われ、そっちに目覚めるとか。歴史に消えた画家の方が堂々と立派で秀逸な名品に映り、はるかに対価に見合うと思えてきて。それに引き替えゴッホは、馬鹿にド派手な原色を塗った幼稚さと、どこか暗い感じだし、線はゆがんでいるし、何だかみすぼらしく思えてきて。 |
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――サクッと事務的にゴッホを買い込む予定が、向こうで止まってしまうわけですね? 当時の人気画家の絵を買って、タイムトラブルの旅となるかも知れません。ゴッホは、当時の誰も相手にしないクソ絵画の変人です。後に世紀の傑作になる答を知っていてさえ、ゴッホを買う現代人は周囲から浮いて、アホ丸出しに見えるでしょう。現地ギャラリーを見学するうちに、しっかり描かれたステキな他の画家たちにほだされ、感銘を受けてまんまと買わされる可能性が消えません。帰った後のやりとり。「あんた、何でゴッホの時代へ行って別のを買ってきたの?」「ゴッホより感動するうまい絵が、いっぱいあってさあ・・・」。 |
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――ゴッホがそれほど稚拙で不器用なら、なぜ今は逆転して最高の名作なのですか? 芸術が創造だからです。創造性とは、巧みさや器用さではなく、独自性を指す語です。この語に答が出ているわけで。歴史の選択は、上手や精巧や美麗は選びません。しっかり描き込まれたステキな作品は、どの時代にも腐るほどあるから、長い目で見ればいらない。歴史、言い換えれば後世の人、彼らは類例なき稀少なユニークを求めます。ゴッホにはそれがあって、当時花形だったステキな名品たちにはありませんでした。 |
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――もしゴッホに直接肩入れしたら、タイムパラドックスが起きる問題があるわけですね? まあ、それは必ず起きます。タイムマシンに乗って生前の時代へ行き、親を殺害すれば自分はどうなるか、という因果の悪循環です。わけのわからない画家ゴッホが目ざわりで、早めに芽をつもうと思い立つ未来人がいるかも知れないし。 |
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――タイムマシンは、いつになれば実現しそうですか? まあ、もちろん全てはフィクションの世界です。過去へ行ける乗り物は今はないし、将来も作れません。 |
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――それは、現時点の予想ですね? 予想ではなく、最終結論です。人類は過去に行けずに終わります。誰もゴッホに会うことはできません。 |
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――今の科学はまだまだ未熟なのに、なぜはるか未来の科学レベルまで、今わかるのですか? 簡単なロジックです。過去へ行ける機能を持つマシンの役割は、過去へ行くことだからです。 |
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――そりゃ、そうですが? 過去へ自由に行けるマシン作りに成功したなら、それは実行されています。だからマシンは過去に存在します。私たちは手にしているはず。しかし、そんな事実はありません。博物館にタイムマシンは置かれず、未来から来た人に関する文献は見当たりません。 |
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――今の2012年へ未来人がマシンを送らなければ、私たちが手にできなくても当然ですが? 未来人と私たちが顔を合わせて、見つめ合う必要はありません。昨年2011年に来ていたら、マシンは2012年の今、話題になるのだから・・・。つまり、2011年の東日本大震災の津波を確かめようと、未来の日本から学者やニュースリポーターが乗ったタイムマシンがたくさん来ていたわけで。 |
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――あっそうか、持ち込まれた異物は遺物となって、今年も来年もあり続けますね? 大地震以外にも、恐竜を滅ぼす隕石落下を見届けたり、工事中のピラミッドをチェックしたり、マリー・アントワネットに会って踊ったり、北町奉行で金さんの彫り物を見せてもらうとか、過去の要所要所に向けて未来人がタイムマシンを次々と送り込みます。乗員がそこで暮らせばマシンはそこに残って、出土したり神社などに奉納され、あるいは今も大事に使われていたりするでしょう。 |
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――日進月歩でタイムマシンがどんどん改良されて、未来から送り出す台数も増えて行くわけですね? なので、過去はタイムマシンが来た記録だらけです。未来人が帰らずとどまれば、タイムマシンは残留します。未来人はカメラ類を持って来ているはずで、そうしたスーパー機材の類もギリシャ時代や飛鳥時代に山とたまっているでしょう。パルテノン神殿や法隆寺にも、その記録が残されていて。 |
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――しかし現実は、過去にタイムマシン本体も発見記録も、機材も日記も何も見つかっていませんね? つまり、人類がタイムマシンを永遠に作れないことが、ここに居ながら結論できます。未来の人の行動範囲が現に目視できているのです。 |
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――でも、未来という時は、人類史上まだ来ていませんが? 来ています。タイムマシン製造に成功する未来があるなら、そのマシンは過去に見つかっています。過去を観察するだけで、未来人に何が不可能かがわかるのです。過去へ行く乗り物が不可能だと、私たちは答を見ちゃったわけで。 |
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――でも何だか、科学が進歩するうちにタイムマシンが作れそうな心情だけは残りますが? 現実にSF物語に出てくる乗り物型のタイムマシンがいつかどこかにあれば、心情はズタズタです。未来と過去が往来できれば、時間の概念が崩れるからです。今の話もそうだし、どの時代の物が、どの時代にもあります。 |
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――それは、どういうことですか? 新型マシンが恐竜の化石といっしょに出土し、旧型マシンが北町奉行、今の東京都庁にあったりします。古い場所に新物があって、新しい場所に古物があって、時刻と事物の新旧がバラバラの何でもあり状態です。しかし今、そんな乱れた光景はありません。時間の秩序は保たれています。 |
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――タイムマシンが不可能だとは、20世紀、いや19世紀にもわかっていたのですね? それどころか宇宙が始まった瞬間に、タイムマシンなる乗り物が不可能とわかっています。もし可能なら、宇宙が始まる瞬間を見に来る未来生物がいるからです。宇宙が始まろうとした時、未来生物の手でいじられてしまって・・・ |
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――タイムマシンは不可能だという現実を、ゴッホも見届けていたわけですか? アルキメデスやダ・ヴィンチ、マリーや金さんも、未来から人が来ない事実を確認しました。私たちはただ追認するだけ。ゴッホは絵がとんでもなく高額になる未来を、人から教えられることなく終わりました。ゴッホがいた時代に大好評を博したプリンス画家の英雄たちは、自分の名が消えている未来を、噂に聞くこともなく・・・ |
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――生きているゴッホ本人と会う機会は、永久に来ないのですね? 疑似体験ならありますが・・・。今でもゴッホが暮らした土地へ行くと、当時のように教会や糸杉や麦畑があります。それを携帯電話で撮影する現代人がいて。絵にかかれた物々が保存されたからです。はね橋も近所に再現されています。単なるタイムカプセル効果ですが、物を捨てずにとっておくと、新旧の事物が同時に存在して、ちょっとだけ不思議です。 |
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